
平野さんの最新長編です。
『本心』
作家・平野啓一郎さんによる長編小説で、2021年5月26日に文藝春秋より刊行されました。
元々は新聞紙面上で連載されていたもので2019年から2020年にかけて、北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞にて連載されていたものとなっています。
story
舞台は、「自由死」が合法化された近未来の日本。最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子は、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする。
母の友人だった女性、かつて交際関係のあった老作家…。それらの人たちから語られる、まったく知らなかった母のもう一つの顔。
さらには、母が自分に隠していた衝撃の事実を知る── 。
https://k-hirano.com/honshin
最新長編
平野啓一郎さんによる著作である『本心』読みました。
平野さんも新刊を楽しみにしている作家さんの一人で、Amazonで予約してすぐに読みました。
新聞で連載されていたそうで、それを単行本として刊行されたものとなっています。
AIやVRなどの最新技術を一つのテーマとして扱いながらも、母親と子供という極めて根源的な物語ともなっている作品です。
『クララとお日さま』を読んでいて
少し前に、カズオ・イシグロさんの『クララとお日さま』という作品を読みました。
この小説は病気の少女と、共に暮らすこととなる高度な知能を備えたロボットの話です。
今まであまり読んだことのなかった類の内容となっていて、凄く面白い作品だったのですが、この『本心』を読み始めて、この二つは同じようなことを扱っている作品だなーと思いました。
『本心』では、自由死という形で自ら死を選んだ母親の本心を知るべくVF(ヴァーチャル・フィギュア)という形で母親を作ります。
VFの母親はいろんなことを学習させることができ、ちょっとした会話なんかから修正することで、どんどん本人に近づけていくことのできる存在として描かれています。
『クララとお日さま』にもAF(アーティフィシャル・フレンド)という人工的な親友という意味のロボットが登場します。
そういった存在と、生きている人間との関わりを描くことで物語を作り上げているというのがこの二つの作品なのです。
人たらしめるものとは
二つの作品において、そのロボットの存在意義や目的は全く異なっています。
でも、共通して訴えかけてくることとしては、”何が人を人たらしめているのか”ということではないかと思います。
『本心』では、主人公の青年がVFの母親を本物と見間違うような様子も描かれます。
しかし、それは決して絶対に本当の母親ではないと分かっていて、本質的な意味で代わりとなる存在ではないのだということも強く理解しています。
そこには絶対に越えることのできない壁のようなものがあるのです。
『本心』に出てくるVFの母親は、母親が言わなようなことに対しては「そんなことは言わなかった」と指摘すれば言わなくなる。ということとなっています。
それを繰り返していくことで次第に本人に近づけることができるというのですが、確かにそうかもしれないと思う反面、そういうことじゃないんだよな・・・と思ってしまいます。
そうやって作り上げて行ったとしても、そこには自発的な思考や発言が存在しないからです。
自分が思う二つの作品から受け取った”人間とは何か”という問いに対する回答としては、自発的な思考や発言があるかということではないかと思いました。
外への反応や、外から作り上げた存在としてのロボットと、内発的に何かを思い、何かを行うということは大きく違っていて、そこにこそ”人間”はあるんだろうなーと思います。
『本心』とは
『本心』の中でも僕が求めているのは内発的な感情の動きだ。というような記述があります。
まさにそうで、そこにこそ母親は存在するのだと思うし、そこにしか”本心”はないんだろうなと思います。
この作品では”本心”という言葉が繰り返し使われます。
本筋として母親はなぜ自ら自由死という形で死を選んだのかということを知るため、ということがありながら、他のところでも何度もこのワードが登場します。
さらに途中から、主人公の行動に感銘を受けたイフィーという人物が登場します。
この人物はいい意味で凄く”浮いている”存在として登場します。
彼は下半身が動かないという障害を抱えていながらも、アバターを作り、販売するという仕事で成功し巨万の富を持っている人物です。
主人公は彼のところで途中から働くこととなり、その様子や関係性の変化なんかも描かれます。
彼の存在は異質なものでありながらも、物語の中で凄く重要な存在でもあり、いい味を出している存在でもあります。
何を知っていて、何を知らないか
この作品を読み終えて思ったことは、僕は周りの人たちの何を知っていて、何を知らないんだろう。ということです。
さらにそれは逆もそうで、周りの人たちはどれだけ僕のことを知っていて、何を知らないんだろう。ということでもあります。
自分の本心や気持ちを語っていると思っていても、実はそうではないんじゃないかということが世の中には往々としてあるんじゃないかって。
それゆえに、本心を知ってもらうことや共有することがいかに難しいのかということも思いました。
そして、自分の知っている母親を作り上げたとして、その先にある自分の知らなかった母親の”本心”へ辿り着けるのか・・・?ということでもあります。
この問いは結構重要な部分なんじゃないかと個人的に思いました。
この作品の舞台設定は、今現在よりも技術なんかがより発展している近未来となっています。
しかし、根源的なテーマとしては物凄く普遍的なものなんじゃないかとも思います。
それは母と子であったり、男と女であったり、人対人の関係性というものを扱っている作品なのだろうなと思います。
なかなかボリュームのある作品ではありますが、いい小説だなーと思います。