
変な映画を見てしまいました・・・。(良い意味で)
『人数の町』
2020年9月4日に公開された日本映画です。
監督は荒木伸二さんで主演は中村倫也さんとなっています。
他、石橋静河さん、立花恵理さん、橋野純平さん、山中聡さんなどが出演しています。
荒木監督は長編映画初監督作となる作品です。
story
借金取りに追われ暴行を受けていた蒼山は、黄色いツナギを着たヒゲ面の男に助けられる。その男は蒼山に「居場所」を用意してやるという。蒼山のことを“デュード”と呼ぶその男に誘われ辿り着いた先は、ある奇妙な「町」だった。
https://www.ninzunomachi.jp
「町」の住人はツナギを着た“チューター”たちに管理され、簡単な労働と引き換えに衣食住が保証される。それどころか「町」の社交場であるプールで繋がった者同士でセックスの快楽を貪ることも出来る。
ネットへの書き込み、別人を装っての選挙投票……。何のために? 誰のために? 住民たちは何も知らされず、何も深く考えずにそれらの労働を受け入れ、奇妙な「町」での時間は過ぎていく。
ある日、蒼山は新しい住人・紅子と出会う。彼女は行方不明になった妹をこの町に探しに来たのだという。ほかの住人達とは異なり思い詰めた様子の彼女を蒼山は気にかけるが……。
とある町に送り込まれた
また変な映画を見てしまいました。(良い意味で)
『人数の町』という映画を見たのですが、これはなかなかに衝撃的な映画だったなという感じです。
この映画は一人の男がある町へ連れてこられるところから始まります。
訳もわからず連れてこられた男は”デュード”と呼ばれ、”バイブル”を読むことを求められます。
その町では衣食住は保証されており、sexをすることも自由となっている町で、たくさんの人がそこで暮らしていることを知ります。
しかし、町から抜け出すことは許されていません。
町から逃げ出そうとすると頭の中で痛みが発生するような何かを打ち込まれており、町から離れようとすると激痛が走るようになっています。
そんな町を訪れた中村倫也の演じている主人公は最初は疑問を感じながらも、次第に適応し疑問を持たなくなっていきます。
しかし、町を訪れた一人の女性と出会い、彼は町を抜け出そうとするのだけど・・・というような話です。
現代に疑問を投げかける
この映画は基本的にはリアルなものでありながら、町の存在はフィクショナルなものとして描かれているような作品です。
絶妙なリアリティラインで描かれ続けている作品なので、全体を通して色々な疑問を投げかけ、考えさせられる映画となっています。
映画を見ている人は外から町の様子を見ることとなるので、「何かがおかしい」と思うことができるはずです。
しかし、町の中にいる人たちは自分たちのことを客観的に見ることはできません。
最初は疑問を持ったとしても、次第にそうすることはできなくなっていきます。
最低限の衣食住は保証されているので生きていくことはできるし、ストレスも少なく生活していくことはできるのです。
序盤では、明確に映画を見ている人たちにだけ向けたメッセージがいくつか差し込まれています。
日本の失踪者数や失業者数、廃棄ロスなどの数字が差し込まれているのです。
これはかなり効果的だなと個人的には思いました。
こういう数字を見てしまうと、この町に対する視点が少し変わるような気がしました。
そして、タイトルともなってる”人数”というものを具体的に示している数字でもあるんじゃないかなとか思ったりもしました。
町は幸福か?
映画を見ながらずっと考えていたことは、この町に生きることは幸福か?ということです。
この町では衣食住は保証されていて、少なくとも生きていくことはできます。
家族という単位がなければ劣等感を感じることもないというようなことも言っていて、なるほどな・・・と思ってしまいました。
単調な労働が割り当てられてはいますが、ストレスは少なそうで、意味を考えないことに慣れてしまえば全く苦痛ではないでしょう。
しかもそこへ連れてこられてきた人は外の世界では居場所のないような、悪い言い方をすれば底辺のような位置にいた人たちばかりです。
そういう人たちからすればむしろ恵まれていて、最高な環境とも言えるのではないでしょうか。
”バイブル”には平等は可能だというようなことが書かれていて、確かにここにはある種の平等があるのではないかと思いました。
人数とは?
タイトルにもある”人数”とはどのような意味なのでしょうか。
途中、逃げ出そうとした中村倫也に「あそこで人数をやってくれれば良いのに」というようなことを言うシーンがあります。
自分は人間ではないのだということを言われた気がした彼が激昂するというシーンです。
町に生きる人は”人数”とした総体としての存在なのだということが示されます。
更に、詳しくは言及されてはいませんが町の人たちが誰かの選挙権を行使して投票するというシーンがあります。
ここでは”人数”である彼らが投票することによって利益を得ている人たちがいるんだということが描かれています。
この町を作ることと、運営することに関与している誰かがいて、メリットがあるんだということでもあるのです。
そもそも、この映画の着想のきっかけが人間が人数に変わることに恐怖を感じるというところから来ていると言います。
匿名な総体としての”人数”は現実にも確かに存在していて、そこに対する恐怖というのは分からなくはないな・・・という気がします。
外の世界と
終盤では町の外へ出ていこうとする様子が描かれます。
しかし、一度町に入った人間が外で生きていくことがいかに難しいかということが描かれます。
戸籍は預かられていて、頭の激痛を止めるための機械を手放すことはできません。
そんな世界で生きていけるのか・・・?と見ている側は思ってしまいます。
最終的に中村倫也さんの演じている主人公は”チューター”という町の運営側?の人間になることが描かれ、希望とも絶望とも言えないような終わり方をしていました。
やっぱりか・・・という町から抜け出せなかったんだなと思うとともに、そっち側ならまだマシか?とも思えるような感じの終わり方でした。
”人として生きるということはどういうことなのか”を考えるとともに、いろんなメタファーを含んでいる映画だったなという感じです。
例えばこの町は日本のサラリーマンと重ねることもできます。
疑問を持たずに与えられたことをやっていればある程度の生活は保証されます。
抜け出すことに対する感覚なんかも、なんか分かるな・・・という気がしました。
面白い映画です
現実にはこのような町は存在しないのですが(多分)、色々考えさせられるとともに、映画としてすごく面白い作品であることは間違いありません。
個人的には町の作り手側、運営する側の話ももっと深く見てみたいなと思いました。
なぜこのような町を作り、このようなルールとなっているのか。
あの選挙に関わっていた人なんか、絶対何かあるだろ・・・というような不気味な感じもあったりして。
いろんな想像を掻き立てられる作品です。