感想・解説『あのこは貴族』違いはあるけれど

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めーっちゃいい映画でした。

『あのこは貴族』

2021年2月26日に公開された日本映画。

山内マリコさんによる同名小説を原作とする映画で、監督・脚本は岨手由貴子さん。

出演は門脇麦さん、水原希子さん、高良健吾さんなどとなっています。

story

東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく成長し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華子。20代後半になり、結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。あらゆる手立てを使い、お相手探しに奔走した結果、ハンサムで良家の生まれである弁護士・幸一郎と出会う。幸一郎との結婚が決まり、順風満帆に思えたのだが…。

一方、東京で働く美紀は富山生まれ。猛勉強の末に名門大学に入学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。幸一郎との大学の同期生であったことで、同じ東京で暮らしながら、別世界に生きる華子と出会うことになる。2人の人生が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―。

https://anokohakizoku-movie.com

階層社会を描いた

『あのこは貴族』観ました。

この映画のことは原作も含め知らなかったのですが、その存在を知り面白そうだなと思いTOHOシネマ六本木へ。

あらすじは少し見た上で、原作は読んでいない状態で観たのですが、これがめっちゃくちゃいい映画でした。

出演している俳優さんたちも凄くハマっていて、物語も結構センシティブな内容を描いていながらも、リアルなところはリアルに、それでいて全てを肯定的に描いているような気がしました。



この映画で描かれているのは日本に確かに存在している『階層』というものです。

多くの人があまり触れたがらない部分でもあるこの『階層』というものに対し、凄くフラットな目線で現実を捉えていて、それでいて最終的には自分も頑張ろうと背中を押してもらえるような作品となっていました。

持てるものたちの世界

話は華子という門脇麦さんの演じている女性が家族との会食に向かうところから始まります。

見るからに高級そうな場所で、しかも毎年恒例となっているんだろうなーという会食の場へ向かいます。



多分見ている人はすぐに理解します。タイトルとなっている『貴族』である『あのこ』とはこの子のことなんだろうなーと。



かなり高そうな食事をしている、見るからに良家である彼らの食事の場に華子は遅れて到着するのですが、どこか冴えない顔をしています。

婚約する予定であった男性から別れを告げられてしまったという話をし、家族の中でちょっと肩身の狭い思いをしてるんだろうなーという様子が描かれます。



第一章ではこの華子という女性がどのように育てられ、どのような世界を生きているのかが語られます。

ここは結構いわゆる『普通』の人たちではないというか、会話の一つ一つから多くの人からしたら鼻につくような世界が描かれます。



いくつかの出会いを経て、華子は運命の相手と思えるような幸一郎というイケメンの弁護士と出会います。

同じく良家の育ちである彼からプロポーズされ、順風満帆に進むかと思った結婚話なのですが、彼の携帯にある女性からのメッセージが届くのを見てしまいます。

持たざるものたちの世界

第二章として描かれるのがもう一人の主役である水原希子さんの演じる、美紀という女性です。

彼女は富山の田舎で生まれ育ち、猛勉強して上京してきた女性です。



一章の世界とは対比されるかのように、持たざるものの世界がここでは描かれていきます。

彼女は学費を払えなくなり水商売をしてなんとかしようとするも難しく、大学を中退。

実家である地方都市は廃れていて、地元の友達もほとんどが地元にとどまっていて親と同じような人生を生きているという閉ざされた世界という風に描かれています。



美紀は今はとある会社で勤めているものの、華子のような世界の人たちとは本質的に異なっている存在なのだということが語られます。

両者が出会う時

そんな華子と美紀の両者と関わる存在として登場するのが幸一郎という高良健吾さんの演じている弁護士です。

彼はめちゃくちゃ由緒ある家に生まれ育ち、幼稚舎から慶応という完全なる「持てるもの」の世界にいる人物です。



そんな幸一郎の存在を介して、華子と美紀は出会うこととなるのですが、ここは緊張感のあるシーンとなるんだろうな・・・と思って見ていると、意外にも二人の邂逅はふわっと終わってしまいます。

凄く重要なシーンであるはずなのに、このシーンの描き方にこそ作り手の想いのようなものが込められているのかもしれないなとも思いました。



「二人を対決させようというような気はない」というセリフにもあるように、この映画は女性同士の比較や対立を描いている作品ではないんだろうなと思います。

「階層による違いがある」というところはきっちりと描きながらも、単純に比較して幸不幸をジャッジしようとはしないような、そんなフラットさがずっと貫かれています。

自由さと不自由さ

途中からは、幸一郎と結婚する華子と、関係を断ち切った美紀のその後が絵描かれていくのですが、華子の方は裕福だけれど凄く不自由な世界なんだな・・・ということが語られます。

一方で美紀は友人と起業しようということとなったり、どうなるか分からない未来ではあるのですが、それが凄く自由なものに見えてきます。



それぞれの持っている自由さと不自由さが描かれながら、二人はまた出会うこととなるのですが、ここは凄く重要なシーンの一つです。

華子は美紀の家を訪れ、ベランダで会話をします。

『どこで生まれても、凄くハッピーな日もあるし、泣きたくなる日もある』というようなことを美紀は言うのですが、このセリフは凄く良いです。



というか、おそらく伝えたいメッセージはこれなんじゃないかというようなセリフとなっています。

華子の様子を見てきている観客は本当にそうなんだよな・・・と思いますし、同時に自分の人生にも照らし合わせて深く納得するのではないでしょうか。



そして、帰路に着く華子がはしゃいでいる女子二人に橋の先から手を振るというシーンが続くのですがここもめっちゃ良いシーンです。

お互いの存在をしっかりと確認し、離れてはいるんだけれど、本当はそんなに離れてなくて、実は近くにいるんだなーというような感じとなっています。

自分らしく

この映画では女同士が自転車(三輪車?)ではしゃぐというシーンが3回あります。

良いなと思ったのは、このシーンはどれも明確に幸福なものとして描かれている事です。

比較することから幸不幸をジャッジしないというフラットさを貫きながらも、本質的な幸福とはこういうことなんじゃないか・・・という感じで。

それは階層だとかいうところとは関係ないところにある、凄く本質的な部分での人としての幸福感なのかなーとか思ったりもしました。



見終えてみて、自分も背中を押されたというか、とにかく自分も頑張ろうと僕は凄く思ってしまいました。

女性の映画で、女性監督が作った映画ではあるのですが、誰が見ても響くものがあると思います。



「階層」というものは、積極的に見たいものではないかもしれませんが、誰しもが無関係ではありません。

確かにそこに存在している世界の一部でもあります。

そこには異なる当たり前が存在していて、両者が関わることは無いようにも見えるのですが、実は深い部分では同じような悩みを抱えていたり、しょうもないことで笑い合ったりしているのです。



多分、こういうテーマは男性が描こうとするともっと比較からの優劣や勝敗という側面が全面に出てきてしまうような気がします。

女性だからこそ作れる作品で、だからこそ素晴らしい映画なのだなと思いました。



久しぶりに劇場へ行ったのですが、とにかく良い映画観たな・・・という感じです。

いろんなこと思う人がいるかもしれませんが、多くの人に見て欲しい作品です。





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