感想・解説『ありがとう、トニ・エルドマン』不器用な父親と

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家族愛に溢れた映画です。

『ありがとう、トニ・エルドマン』

ドイツ人の女性監督であるマーレン・アデさんによる映画で、2016年に公開されました。(日本公開は2017年6月24日)

原題は『Toni Erdmann』。



カンヌ国際映画祭でも上映され、世界で数多くの映画賞を受賞しています。

第89回米国アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされています(受賞はならず)。



出演はペーター・ジモニシェックさん、サンドラ・ヒュラーさん、イングリット・ビスさんなどとなっています。

story

悪ふざけが大好きな父・ヴィンフリートとコンサルタント会社で働く娘・イネス。性格も正反対なふたりの関係はあまり上手くいっていない。

たまに会っても、イネスは仕事の電話ばかりして、ろくに話すこともできない。そんな娘を心配したヴィンフリートは、愛犬の死をきっかけに、彼女が働くブカレストへ。

父の突然の訪問に驚くイネス。ぎくしゃくしながらも何とか数日間を一緒に過ごし、父はドイツに帰って行った。

ホッとしたのも束の間、彼女のもとに、<トニ・エルドマン>という別人になった父が現れる。職場、レストラン、パーティー会場──神出鬼没のトニ・エルドマンの行動にイネスのイライラもつのる。

しかし、ふたりが衝突すればするほど、ふたりの仲は縮まっていく…。

http://www.bitters.co.jp/tonierdmann/index.html

2016年のドイツ映画

『ありがとう、トニ・エルドマン』は2016年に公開された(日本では2017年)ドイツ映画です。

公開当時、この作品の存在は全く知らなかったのですが、先日映画評論を聴いておすすめされているのを見て、DVDを借りて観ました。



『不器用な家族愛を描いた変な映画』というような評され方をされていて、面白そうだなーと思いながら観ていました。

確かにちょっと変な映画だったなーという感じもありましたが、同時にめっちゃいい映画だったなーとも思いました。



ある程度年齢のいった大人同士としての親子を描いている感じで、大人こそ響く内容なのではないかなーという作品です。

風変わりの父親が

描かれているのはある1組の親子です。

コンサルタント会社でキャリアウーマンとして生きる娘と、その父親です。



いつからか、二人の間には絶妙な距離感ができてしまっていて、それでも父親は娘のことをどこか心配に思っています。

少しでも距離を縮めようと父親は奮闘するのですが、素直に受け入れられることはなく・・・さらに距離ができていっていくのです。



そんな時、父親はある手段で娘の力になろうとします。

父親は『トニ・エルドマン』という別人として娘の前に現れるのです。



娘はその正体が父だと知っているのですが、周りの人たちはそんなことを知ることもなく、娘は次第にイライラしていくこととなるのです。

終盤二つの箇所で

そして、この映画ではラスト近くに圧倒的に変な箇所が二つあります。

一見なんだこのシーン?というような部分ではあるのですが、見終えてみてよくよく考えてみるとなるほどなーと思えるようにもなっています。



一つ目は娘さんが自宅で会社の同僚を呼んでホームパーティーをするシーンです。

最初、普通のパーティーは始まったかのように思えたのですが、溜まっていた何かを爆発させるかのように驚くべき展開へとなっていきます。



このシーンは、社会人としてある程度勤めたことのある人であれば、多かれ少なかれその意味するところはなんとなく分かるのではないでしょうか。

働くときは、多かれ少なかれ偽りの自分を演じています。

そして、組織の中における役職を全うし、上下関係の中に生きているものです。



それは、ある意味でやっぱりストレスの溜まることでもあります。

自分自身というものが次第にわからなくなっていってしまいます。



それを踏まえてのあのシーンなのかと思うと、なるほどなーという納得感を個人的には感じました。

父親のもとへ

そして、もう一つの見所がラストで娘が父親のもとへ抱きつきにいくシーンです。



父親は最後には変な被り物をして現れます。

それは端から見れば何のことか分からないし、おかしい人物だと思うかもしれません。



しかし、娘だけはその意味を知っています。

そして、そこには愛情があり、積み重ねられた無性の愛を知ります。



そうやって繋がっていくラストシーンは本当に感動的だなと思います。

誰しもが共感できるような名シーンとなっているのではないでしょうか。

とてもいい映画

この作品、確かにちょっと変わっている作品であることは間違いありません。

でも、それは父親の不器用さと繋がっているような気もしていて、最後はすごく感動的な終わり方となっているなと思いました。



きっと、この監督もなかなか素直に気持ちを伝えることのできない不器用さを抱えているのかもしれません。

そう考えると、すごく納得できるような気がします。

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