
若い感性という感じの本でした・・・。
『すべて名もなき未来』
「構造素子」でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した樋口恭介さんによる2冊目の著作となります。
会社員としても勤めている著者による評論集となっています。
本を紹介する書評集であるのですが、一部はエッセイのような短い文章も掲載されています。
内容紹介
新世代の作家・批評家の誕生!
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5747
ありうべき未来をめぐる評論集
令和。二〇一〇年代の終わり、二〇二〇年代の始まり。インターネット・ミームに覆われ、フィリップ・K・ディックが描いた悪夢にも似た、出来の悪いフィクションのように戯画化された現実を生きるわたしたち。
だが、本を読むこと、物語を生きることは、未来を創ることと今も同義である。未来は無数にあり、認識可能な選択肢はつねに複数存在する。だからこそ、わたしたちは書物を読み、物語を生き、未来を創造せねばならない。
ディストピア/ポストアポカリプス世代の先鋭的SF作家・批評家が、無数の失われた未来の可能性を探索する評論集。社会もまた夢を見る。
30歳の著者による
『すべて名もなき未来』読みました。
これもまたタイトルが気になって、内容も面白そうだったので購入して読んでみました。
著者は恥ずかしながら知らなかったのですが、樋口恭介さんという方です。
この方は2017年にSFの新人賞で大賞を受賞し、作家としてデビューされている方です。
1989年と、生まれは僕と同い年で、会社員としても勤めている方です。
そんな樋口さんの2冊目となる著作がこの『すべて名もなき未来』となります。
書評集
この本は基本的にはある一つの本を取り上げ、それに関する文章を書くという書評本となっています。
『ダークウェブ・アンダーグラウンド』や『息吹』など、聞いたことあるタイトルの本がいくつかありましたが、読んだことのある本はありませんでした。
それでも、この本で紹介されている本は、結構絶妙なチョイスな気がしました。
書評を読んでいるだけでも、相当センスある選書な気がして、ほとんどの本を読んでみたくなりました。
テッド・チャンの『息吹』なんかは、いろんな書店で何度も見かけた本だよなーと思いつつ読めずにいた本でした。
批評の役割とは
そして、この本の中には書評ではない文章もいくつか載っています。
その中の一つに『批評家は何の役に立つのか?』というものがあります。
個人的にはこの文章が本書の中で一番印象に残った部分かもしれません。
批評なんて何の役にも立たないと思う人もいるかもしれません。
でも樋口さんはそうは考えず、批評は役に立つものだと言います。
そして、凄く印象的な表現だったのが、”批評は可能性の提示”だと書かれています。
具体的に引用するとこのようなことが書かれています。
みんなで川へ釣りに行こうというとき、仲間の中に一度も海に行ったことのないものがいたとする。それまでに、川へは何度も行っていて、とれる魚もつくれる料理もある程度ルーティン化していたとする。川に比べればずっと遠いが、行けなくはない場所に海がある。けれどみんなは新ことを考えるのはめんどうなので惰性で川に行こうとする。そんなときに、躊躇なく、海に行こうと提案できるのが批評家である。
本文より
一日の終わりを振り返り、海も悪くなかったなと彼らは言う。それから仲間たちはそれまでの川に加えて海に行くという選択肢も持つようになる。
批評とは、既存の情報を再構成し、新たな可能性を提示することだと言うのです。
つまり、論理によって可能世界を見せることだと。
この辺りを読んでいて、ものすごくしっくりきたと言うか、なるどほな・・・と思ってしまいました。
批評は可能性の提示か・・・
批評と悪口や批判って似たような言葉で、大方同じような意味な感じもしていたのですが、こうやって考えてみると全然違うことなんだと分かります。
悪口や批判は、相手を傷つけるためだったりする言葉です。
しかし、批評はそうではありません。論理的に再解釈の可能性を提示することなのです。
これは年齢を重ねていくほど重要なこととなっていくような気もします。
普通の生活の中でも、マラソンばかりやっていた人にゴルフの楽しさを提示したり。そんなことも批評なのかな・・・とか思ったりもして。
ちょっと違うかもしれませんが笑
若い感性のセンスある文章
通して読んでいて凄く思ったのは、凄く若い感性で、とてもセンスある文章を書く人だな・・・と言うことです。
この人の本を読むのは初めてだったのですが、同じ時代を生きてきた感じがすごくしました。
だからこそ伝わってくるリアリティも凄く感じました。
次はどんな本を書いているのか分かりませんが、他の本も読んでみたいなと思いました。