
気になっていたこの映画です。
『存在のない子供たち』
レバノンの映画監督であるナディーン・ラバキーさんによる2018年の長編映画です。
日本では2019年7月20日に公開されました。
2018年のカンヌ国際映画祭では審査員賞を受賞し、アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされています。
作品紹介
わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。
http://sonzai-movie.jp/info/story
裁判長から、「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。
中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。
学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に劣悪な労働を強いられていた。
唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来は―。
子供の貧困を描いた
『存在のない子供たち』をDVDで観ました。
この映画は2019年に公開されていたのですが、上映館はあまり多くなく、気になりながらも結局観れずにいた作品でした。
傑作というような声は聞いていて、どんな映画なんだろうなーと思っていた作品です。
これはレバノンに生きるゼインという少年を中心に、そこにある社会や格差、貧困、両親、家族との問題などを描いている作品です。
日本映画で言うならば、是枝裕和さんと近しい感性を持っている作品という感じで、『万引き家族』や『誰も知らない』なんかに似ているなと思います。
特に『誰も知らない』とは通ずる部分が多いなと思いました。
作中何度も、『誰も知らない』のことを思い出してしまいました。
システムの中で生きる子供
主人公として描かれているのはゼインという少年です。
ゼインは貧しい家族とともに生活しているのですが、年齢もはっきりとしていません。
存在を証明するものは何もない、社会的には『存在しない』子供です。
そんなある日、彼の妹が11歳で嫁にいくこととなることを知ります。
ゼインはそんなことはさせないとなんとかしようとするのですが、どうすることもできず家を出ます。
外の世界に出たものの、子もであるゼインは更に過酷な現実を知り・・・。
というような映画です。
諦め”ざるを得ない”
ずっと貧しい彼の様子が描かれていて、事態が好転しそうな予感すらありません。
最後に両親を訴えることで、少し救いのあるような終わり方にはなってはいますが、決してその根本が変わったとは言えません。
彼は劇中、唯一貧困というシステムに逆らい、”正しい”生き方をしようと奮闘している人物です。
妹をなんとか助けたい、そして中盤からある親子とともに生活することとなるのですが、その赤ん坊をなんとかしたいと、彼は諦めません。
一方で大人たちが諦め”ざるを得ない”瞬間も何度か描かれています。
本当になんとかしようとできることは全てやったのだけど、どうすることもできない現実があり、本当に諦め”ざるを得ない”ような状況なのです。
貧困や格差は決していいことではありませんし、無い方がいいに決まっています。
しかし、そう言うことは簡単ですが、じゃあどうすればいいのか。ということを考えるといかにその問題が根深いかが分かります。
この作品のようにある種システム的な貧困の中を生きている家族に対して、一体何ができるのでしょうか。
具体的かつ、持続的な何かを提示できる人が一体どれだけいるでしょうか。
こういう作品の持つ意味とは
この映画はフォクションでありながら、中東の現実を描いているドキュメンタリー作品でもあります。
現実の世界をどうすべきかという点で考えるのであれば、映画を観ることは何も力を持っていないかもしれません。
遠く離れた国にいる僕がこの映画を観たところで彼らの生活が良くなるということはないと思います。
しかし、こういう映画はとても大切な意味を持っていて、それこそ僕のような遠く離れたところにいる誰かに、その現実を伝えるということです。
中東の貧困の話を本で読んだり、話で聞いたりしてもどこかリアルにイメージできないものですが、こういう映像作品として見ることは凄くリアルなイメージを持つことへとつながります。
それは映画などの映像メディアでしかできないことでもあるのです。
ただ、これを観ただけで分かった気になるというのも少し危険な気もしますが、知らないよりは何倍もいいはずです。
決して明るい作品ではないかもしれませんが、傑作と言われるのも納得でした。