感想・解説『海辺のカフカ:村上春樹』

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村上さんの長編小説です。

『海辺のカフカ』

村上春樹さんによる長編小説で、2002年に新潮社より上・下巻として刊行されました。

その後、新潮文庫より2005年には文庫化もされています。



村上春樹さんの10作目となる長編作品で、世界各国でたくさんの言語でで訳されている作品です。

フランク・ギャラティさんによる脚本・演出による舞台化、蜷川幸雄さんによる演出で舞台化もされています。

内容紹介

十五歳になったとき、少年は二度と戻らない旅に出た。

誕生日の夜、少年はひとり夜行バスに乗り、家を出た。
生き延びること、それが彼のただひとつの目的だった。

一方、ネコ探しの名人であるナカタ老人も、何かに引き寄せられるように西に向かう。

暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて――。村上春樹待望の書き下ろし長編小説。

https://www.shinchosha.co.jp/book/353413/

2002年発表の長編小説

村上春樹さんの『海辺のカフカ』という長編小説。

今となっては世界中の多くの人が読んでいる、村上さんの代表作となっている長編です。



僕は初めて読んだのは大学生の頃でした。

当時僕は23歳くらいで、初めて読み、それから2、3回読んだ作品です。



この作品のことが単純にとても好きで、定期的に読みたくなる何かがある作品だと思います。

それは何故?

この作品が何故そこまで魅力的なのかということを考えてみると、それが自分でもうまく説明できないんですよね・・・。

ぼんやりということはできる気がするのですが、その実体の全てを決して掴ませてくれはしない作品です。



主人公となるのは田村カフカという15歳の少年です。

少年は15歳になり、『強くなる』ために家を出ます。

その道中である女性と出会い、図書館へ辿り着き、そこで不思議な体験をするという話です。



並行して語られるのがナカタさんという人物の話です。

彼はある事件をきっかけに知的障害を抱えている人物です。

猫と話すことのできる彼の話が並行して語られます。



その二つの話がある点で交錯していくという構造となっている作品です。

まさに村上春樹さんの真骨頂とも言えるような作品です。

想像力の入り込む余地がある

でも、この掴みきれなさこそが村上春樹さんの作品の魅力でもあると思っています。

村上さんの作品を読むと思うのが、おそらく意図的に不完全さを残しているのではないかという気がします。(特に長編作品)



そして、その隙間こそが多様な言語や文化的背景の異なる人たちが入り込むことのできる余地にもなっているのではないかと思うのです。

数字で言うとするならば、70%の物語を提示し、残りの30%は読者が想像力で補ってもらう。というような感じでしょうか。



それは各々が自分の人生や価値観に沿って行うことでもあるために、たくさんの人がスッと自分の中に入ってくる物語となっているのかもしれません。



それは決して簡単なことではありません。

おそらく、村上さんは100%筋の通った物語を作ることもできるはずです。



しかし、それはある意味では閉鎖性の高いものとなってしまいます。

分かる人には分かるけれど、分からない人には分からない。

完成されているがゆえに読者を限定することにも繋がるのです。

読者に委ねている

この海辺のカフカもそうですが、村上さんの作品は、最終的な解釈は読者側に委ねられています。

それは、言い換えるならば読者に対する『信頼』でもあります。



読者の知性に対する敬意を払っているように思えます。

それは文章や作品にもしっかりと現れていると思いますし、読んでいる側にも伝わるのです。



おそらく僕はこれからもこの作品を何度か読み返す気がします。

15歳の少年の成長を描いている作品でありながら、戦争や暴力などの大きなテーマも含まれている作品でもあります。

それでいて文章自体はすごく読みやすく、結構文量ある作品ですが、割とスイスイ読めると思います。

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