
外出自粛ということで読んだ本のうちの一つです。
『猫を棄てる 父親について語るとき』
小説家・村上春樹さんによるエッセイで、『文藝春秋』の2019年6月号に掲載されたもの。
父親や祖父のことを語ることを通じて、自らのルーツを語るものとなっています。
台湾出身のイラストレーターである高妍(ガオ イェン)さんの挿絵とともに文藝春秋より単行本が刊行されました。
文章量はそこまで多くなく、100ページほどの読みやすいエッセイとなっています。
作品紹介
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163911939
ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた―――村上文学のあるルーツ
父親を語る村上さん
『猫を棄てる 父親について語るとき』読みました。
ネットで予約注文していて、今日到着しました。
単行本も100ページほどで、挿絵とともに進んでいくような感じで読みやすい本でした。
村上春樹さんのエッセイといえば、『走ることについて語るときに僕の語ること』や、『職業としての小説家』などいくつかあるのですが、この本は毛色の違う本です。
自らのことについて語るのではなく(そういう部分もありますが)、父や祖父を通して自らのルーツを語るという本となっています。
父や祖父という存在は誰にとっても絶対的に切り離すことのできない存在で、良くも悪くも影響を受けていることは間違いありません。
それは村上春樹さんにとっても例外ではなく、そこには自分を形作る「何か」があるのです。
日常の風景と大きな物語
最初のページには、親子関係は楽しいこともあれば、それほど愉快でないこともあったが、思い出されるのは日常のありふれた風景だ。ということが書かれています。
本の書き出しとしては本当にさすがというか、誰しも父親について何かを思い出してみたとき、それは意外と大きな出来事ではなく、日常の些細なことなのではないでしょうか。
少なくとも読者の一人である僕もそうでした。
父親とは必然的にたくさんの時間をともにしていて、だからこそたくさんの感情を抱いています。
しかし、だからこそ後になって思い出した時に蘇ってくることはごく普通のありふれた風景なのかもしれません。
村上さんの父親は時代的に戦争へ行っていた世代でもあります。
この本ではそんな様子もわかる範囲で、思い出す範囲で語られています。
読んでいてすごく思ったのは、その頃は国全体を必然的に関わらせるような『大きな物語』が機能していた時代だったんだなーと思いました。
父親を語ることは、つまり戦争を語ることでもあり、それは歴史を語ることともなっているのです。
小さな物語から
つまりこの本は、自分自身と父の日常という『小さな物語』を語っている本でもありながら、戦争や歴史という『大きな物語』を語っている本でもあるのです。
最初は猫を一緒に棄てに行く話から始まります。
猫を棄て、自転車で帰ってきたはずなのに、家に帰るとその猫が待っていたという少し不思議な話です。
不思議な話でもありながら、絶対にありえないとも言えないような話でもあります。
そんな話のことをなぜか強く覚えているというのです。
この感じなんとなく分かります。父親とのなんてことない思い出なのですが、それがなぜか強く心に残っているのです。
そして、この猫というモチーフは、のちの村上さんの作品にも少なからず感じられるエッセンスでもあります。
自分という人間を型作っているものは実はこうした些細なことの積み重ねなのかもしれません。
誰しもが持っている
この本で書かれていることは、実は深いところでは誰しもが共通して持っていることでもあります。
僕自身も父親のことを思い出すと、そこには必ず海があって、僕は今も海に関わることを仕事にしていたりもして。
自分の人生を生きているようでも、そこには必ず他者の存在があるのです。
誰しもそこには思い出があるのです。
そんなことを思う本でした。40分ほどで読める読みやすい本です。