感想・解説『(舞台)ねじまき鳥クロニクル』難しい原作を・・・

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久しぶりの舞台鑑賞。
村上春樹原作作品です。

『(舞台)ねじまき鳥クロニクル』

村上春樹さんの同名小説を原作とした舞台作品です。

2020年2月11日〜3月1日の東京公演を始め、
3月7・8日には大阪公演、14日・15日には愛知でも公演となります。

主なスタッフ・キャストは以下の通りとなっています。

■スタッフ
原作:村上春樹
演出・振付・美術:インバル・ピント
脚本・演出:アミール・クリガー
脚本・演出:藤田貴大
音楽:大友良英 他

■キャスト
成河/渡辺大知:岡田トオル役
門脇麦:笠原メイ役
大貫勇輔:綿谷ノボル役 
徳永えり:加納クレタ/マルタ役
松岡広大:赤坂シナモン役 
成田亜佑美:岡田クミコ役 
さとうこうじ:牛河役
吹越満:間宮中尉役 
銀粉蝶:赤坂ナツメグ役 他

東京芸術劇場にて

『(舞台)ねじまき鳥クロニクル』を観てきました。

場所は池袋にある東京芸術劇場というところで、チケットを取ってこの場所へ行くのは初めてでした。



2月23日という3連休の真ん中の日となっていて、たくさんの人が訪れていました。

席はほぼ埋まっていましたが、ちらほら空席もあったようで当日券もまだ残っていた模様。



村上さん原作の舞台は『海辺のカフカ 』と『神の子供たちはみな踊る』に続く、3つ目となります。

それぞれ出演者や、関わっているスタッフなんかは全く違っていて、当然舞台の雰囲気なんかも全然違っていました。

序盤から独特の雰囲気の

この『ねじまき鳥クロニクル』の舞台は、今まで見た二つよりもとても独特の雰囲気でした。

原作も含め、この物語自体がそもそも独特の雰囲気で、謎を多く孕んでいるものです。

その雰囲気を舞台上でいかに表現するのかということを熟考された結果なのかと思いました。



コンテンポラリーダンスを取り入れていたり、ミュージカル的に歌を入れている部分があったりといろんな工夫がなされていました。

序盤は、主人公となる岡田トオルがいろんな人や出来事に振り回されていくという部分です。

妻であるクミコの失踪や、突然かかってくる謎の電話。



戦時中の中国での話など、これはどういう意味なんだろう・・・?というようなパートが続いていきます。

難しい

そもそもこの『ねじまき鳥クロニクル』という原作の小説。

僕もこれは3回ほど読んだことがあるのですが、結構難しい小説です。



悪く言えば、ストレートに『意味が分からない』と言ってしまう人もいるでしょう。

でも、良く言えばたくさんの解釈ができる開かれている小説とも言えます。



この物語から何を受け取るかは本当に人それぞれで、その人の知識量や知的好奇心、感受性次第で受ける印象は全然違う話でもあると思います。



個人的には、こここそが村上春樹さんの小説の凄さだと思っています。

おそらくもっと分かりやすい、『完成された話』を作ることもできるのでしょうが、あえてそれをしていないという感じです。



そして、その不完全さこそが、多様性の入り込む余地ともなっていて、結果、国を越え、文化を越えて世界で受け入れられているのだと思います。

色々と展開していいく後半

前半が終わり、15分の休憩を挟んでの後半が始まりました。

前半は主人公が井戸の底に入るところで終わるのですが、後半はそこから物語が動いていきます。



綿谷ノボルという悪から、妻であるクミコを取り戻すことを目指し動いていくこととなるのです。



村上春樹さんの小説でこう言った明確な悪役が示されることは少ないです。

おそらく、この『ねじまき鳥クロニクル』までは全くありませんでした。



この作品は村上さんの作品群の中でも、一つ違うことに挑戦している作品でもあるのです。

舞台としての脚色はされていましたが、話は結構しっかりと原作通りともなっている気がしました。

ダイジェストとならないために

原作のある舞台ということで見ていて思ったことは、いかにただの『ダイジェストにならないようにするのか』というところなのかな・・・とか思っていました。



文庫でも3冊もになる長編小説の全てを舞台で描くことはなかなか難しいものです。

必然的にどこを描くかを取捨選択しなければならないのですが、それがただのダイジェスト版のようになってしまわないようにしなければならないのかなと。



そのためには、この物語をしっかりと理解し、深い部分での解釈を加えなければなりません。

一度深く飲み込んで、また吐き出さなければならないとでも言うのでしょうか。



これは、おそらくとんでもなく大変なことなんだろうな・・・と思いました。

観終えてみて

観終えてみて、やっぱり村上春樹さんの作品と舞台という表現の親和性は高いのかなと思いました。

舞台は映画やテレビとは違って、生モノであるとともに、不完全である余地が残されているものです。



『不完全さが許される』という感じで、それこそが強みともなるような感じとなっています。

だからこそ工夫もできるし、原作にあるエッセンスをより強調したりすることもできるかと思います。



なかなか行く機会がないのですが、これからも時間を見つけ舞台鑑賞行きたいなと思いました・・・。

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