感想・要約『ウォーク・ドント・ラン:村上龍 村上春樹』若き日の二人の対談集

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こんな本があったのか・・・。

『ウォーク・ドント・ラン 村上龍VS村上春樹』

作家である村上春樹さんと、村上龍さんによる対談集です。

1981年に講談社より刊行されました。



対談は1980年に2回に渡って行われたもので、1回目と2回目の間の出版されたのが村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』という小説となります。

村上春樹さんは『1973年のピンボール』の後、『羊をめぐる冒険』の前となる時期のもの。



当時、村上龍さんは28歳頃。村上春樹さんは31歳頃となっています。

若き日の二人の

『ウォーク・ドント・ラン 村上龍VS村上春樹』は1981年に刊行された二人の対談集となっています。

今となっては世界的に有名な作家ともなっている二人で、個人的にもとても好きな二人の作家です。



出ている本はほとんど全て読んでいますし、新しい作品が出ればすぐに読むようにしています。

そんな中見つけたのがこの本です。



今まで見たことなくて、Amazonで購入。
こんな本あったのか・・・という感じ。もっと早く読みたかったです。
(おそらく文庫化はされていないのかな・・・?)



この本ではまだ30歳前後の若い頃の二人が対談をしています。

1980年頃と、僕が生まれる10年ほど前のこととなります。



しかし読んでみて、すでに村上龍はやっぱり村上龍だし、村上春樹はやっぱり村上春樹なんだな・・・という感じでした。

1980年頃の

この対談が行われた当時、村上龍さんはデビューして4年ほど。村上春樹さんはデビューして2〜3年頃でしょうか。

まだ二人とも数冊しか小説を出していない時期のことです。



『ねじまき鳥クロニクル』もなければ、『愛と幻想のファシズム』も存在しない時の話です。



二人は同じ時代を生きてきた同時代の作家です。

そして、お互いにお互いのことを意識し、影響を与え合っていることも間違いありません。



似ているところもあれば、全く違っているところもあったりして、読んでいてとても面白かったです。

二人がその先に大作家になることを予想できている人がどれだけいたのでしょうか。



僕はその時代に生きていないので分かりませんが、こんな対談があったこと自体が結構驚きです。

少し浮いているからこそ

なぜ僕がこの二人のことが好きなのかということを考えてみると、二人ともがいい意味で少し『浮いている』からのような気がします。

二人はいわゆる日本的な小説の世界と絶妙な距離をとっているような感じがするからです。



デビューはそれぞれ日本の文学賞であるのですが、それはきっかけに過ぎず、二人はとても自由に見えるのです。

好きなものを、好きな時に、好きなように書いた本が受け入れられるという程自由ではないのかもしれませんが、それに近いものはある気がしています。



その結果として、今もしっかりと現役としてファンを抱えていることも間違いありません。

最後にお互いのことを書いている

個人的にこの本を読んでいて一番興味深かったのが一番最後に描かれていることでした。

お互いがお互いのことを書いている数ページの文章があるのです。



村上春樹さんは龍さんのことを。村上龍さんは春樹さんのことを語っています。

村上龍さんのことを語る村上春樹さんの文章も面白かったのですが、龍さんが春樹さんのことを語っている部分。ここは良かったです。



先にデビューした村上龍さんは、村上春樹という作家の登場によって『楽になった』というのです。



”私は村上春樹の小説を読んで、次のようなことを自分に言い聞かせた。 
 長いものを書く。
 登場人物の出会いと反応を克明に書く。
 「会話」を軽視しよう、そして登場人物の行動で物語を進めよう。
 熱狂を書く。
 そのためには、イメージは最初から全開でなければならない。”



こんなことを言っているのです。

これは今となっては、その後の村上龍さんの作品の根幹ともなっていることとも言えるのではないでしょうか。



おそらくですが、村上春樹という作家の登場によって、村上龍さんは安心するとともに、危機感を覚えたのだと思います。

そして、デビュー作でいきなり大成功したように思える村上龍さんが本気になった瞬間のようにも思えます。



実際、その後の80年代90年代、村上龍さんはかなりの作品を発表してます。

ラストの短い話も

そして、最後に龍さんが書いている話もちょっとグッときました。



ある音楽好きの二人の少年が『ウォーク・ドント・ラン』という曲の演奏を一生に聴いていて、お互い言葉を交わすことはなく部屋へと戻る。

そして思う。二人が音楽家だったらギターとベースで同じ曲を演奏できるのに。
小説家は同じ曲を演奏することができない。



これは作家としての本質でありながら、強い覚悟のようなものも感じました。

同じ時代を生きた同士ではありながら、小説家は仲間になることはできないのだと思います。



それから40年近い時間が流れ、今となっては70歳近くなっている二人。

この先どれだけの作品を発表することとなるのでしょうか(リアルな話)。



89歳で未だ現役の映画監督クリント・イーストウッドのようになっていくのでしょうか・・・。

この先どうなっていこうとも僕は応援し続けます。

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