
早川書房より2018年4月4日に発売された本です。
著者は認知科学者であるスティーブ・スローマンさんとフィリップ・ファーンバックさん。
翻訳は土方奈美さんによるものとなっています。
人間の『無知』について書かれた本で、『無知』『知識の錯覚』『知識のコミュニティ』という三つを主題とし、様々な角度から論が進められています。
少し難しい部分もありながらも、文章自体は読みやすく、約300ページほどの本です。
知っているつもり
あなたはトイレの仕組みをしっかりと理解していると言えるだろうか?
この本ではこの様な問いが出てきます。
自分もそうでしたが、多くの人はそんなことは分かっていると思うのではないでしょうか。
しかし、よくよく考えてみると本当にそうなだろうか?と思えてきます。
自分は本当にトイレの仕組みを理解しているのだろうか?
本の中では、正解としてトイレの仕組みがとても詳しく書かれていますが、それを読んで自分は全く理解していなかったと気がつきます・・・。
これはトイレだけでなく、多くのことに当てはまることでもあります。
私たちは、『ちゃんと理解していないたくさんの事』に依存しながら生きているのです。
この本は、その様な『無知』、『知っているつもり』になっているという事実を提示するとともに、それがどの様に個人に、社会に影響を与えているかが書かれています。
ネットの情報は正しいか?
私たちは、実際に自分が知っていること以上に、自分は物事を理解していると思っています。
『無知の知』という有名な言葉がありますが、無知を知ることは本当に難しいことなのです。
ネットの普及した今では情報を得る手段はたくさんあります。
しかし、そうやって手にすることのできる情報は本当に正しい情報でしょうか?
フェイクニュースという言葉が流行った様に、ネットには正しい情報と、そうではない情報とが溢れています。
それ自体はネットというものの構造上仕方がないことなのですが、危険なのはそれを見た私たちが『知っている』と思ってしまうことです。
得てして私たちは、その様な情報に惑わされ、短絡的な判断をしてしまいがちなのです。
『知識の錯覚』と『知識のコミュニティ』
本書で言及されているのが『知識の錯覚』と『知識のコミュニティ』という言葉です。
人がある物事について、知っていると思っていたが、実はそれほど知らなかった様なことを『知識の錯覚』と言います。
そして、人は誰しもが情報を得る手段として他者を介しているという意味で、『知識のコミュニティ』の中に生きていると言います。
人はすべての物事を理解することなど到底不可能であり、そんな中で生きていくために必要な情報を抽出し、生きていく術を身につけているのです。
この二つは本書の軸ともされている様に、とても重要な事の様に思えます。
結びの部分に
この本の素晴らしいところは、最後に書かれている『結び』という部分にこそある様な気がしました。
この様な学術書的な本での結びやあとがきでは、本文とは少し異なるくだけた文章が書かれていることがあります。
そして、そこにこそ著者の本当に主張したいことが含まれていることも往々にしてあるのです。
この本もまさにそうで、結びの部分で『無知は決して悪ではない。むしろ自然な状態だ』という様なことが書かれています。
まさにその通りで、この世にあるすべての事柄を理解することなど決してできません。
問題は無知そのものではなく、無知をしっかりと認識できないがことが問題なのだというのです。
この本をずっと読み進めてきた自分は、なるほどな・・・と思わずにはいられませんでした。
確かに、無知は避けられません。
しかし、無知を自覚し、それゆえに謙虚になったり、他者と協力することができるのが人間です。
そこが人間が持っている最大の強みなのかもしれません。
本をたくさん読む様になり、思うことは、いろんな本を読めば読むほど知らないことの多さに気がつくということです。
おそらく、それがとても大切なことなのだと思います。
学びは無知の自覚から始まるものなのです・・・。