感想『(映画)響 HIBIKI』小説を書くことの快楽とは

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少し前に見た映画です。

『響  HIBIKI』

柳本光晴さんの漫画『響〜小説家になる方法〜』を原作とした日本映画です。

月川翔さん監督で製作され、2018年9月14日に公開されました。


主演は欅坂46の平手友梨奈さんで、北川景子さん小栗旬さん、高嶋政伸さん、柳楽優弥さんなどが出演しています。

平手友梨奈さんは本作が映画初出演であり、初主演作ともなります。

あらすじ

文芸雑誌『木蓮』の編集部にある一つの小説が届く。

『お伽の庭』というその作品は文藝賞の応募要項を守らずに応募されてきていた。


鮎喰響という名前で送られてきたその作品を目に止めた編集者である花井ふみは、作者である響を探すべく奔走する。

『お伽の庭』というその作品を書いたのは高校に入学したばかりの15歳の少女であった。


自分の考えを曲げることのない響は周りと衝突しながらも、『お伽の庭』は次第に注目されていくこととなる。

そして、『お伽の庭』は芥川賞と直木賞に当時にノミネートされることとなったのだが・・・。

漫画原作の

『響 HIBIKI』は1年ほど前に公開された映画です。

ビッグコミックスペリオールで5年ほど連載されていた作品です。


そして、主役の鮎喰響役を演じているのは欅坂46の平手友梨奈さんです。

彼女は映画初出演で、いきなり主演となる作品でもあります。


彼女はこの作品の中でも相変わらず存在感抜群でした。

これほどにたくさんのアイドルが溢れ、たくさんの女性有名人がいる中でここまでの存在感を持っている人もあまりいないような気がします。

才能とは

この作品は小説家としての才能というものを扱っている作品です。

そして、それはとても残酷なものであり、欲しい人に必ずしも与えられるものではありません。


響の書いた『お伽の庭』という小説は、ふみという編集者の目にとまり、斜陽産業と言われている文学の世界でとても大きな注目を集めます。

そして芥川賞と直木賞の両方を受賞することとなります。

(実際にはこのようなことは極めて難しいとのこと)


その一方で人気小説家の娘である凛夏というキャラクターが登場します。

彼女は小説家の娘として自分も小説を書いています。


そして、響という少女の才能に嫉妬している人物でもあります。

彼女は自分の作品と響の書いた作品とで、周りの反応が明らかに違うことを誰よりも敏感に感じ取っています。

そして、それを無意識的にはおそらく理解していながらもそのことに抗おうとしている人物でもあるのです。


『芸術』全般に関して才能というものは極めて繊細なものでありながらも、残酷なものです。

それは必ずしも熱意や努力に比例するものではありません。


それは『生み出された作品の価値』でのみ測られるものなのです。

編集者の立場

この映画で北川景子さんが演じているのが花井ふみという編集者です。

彼女の立ち位置はとても微妙なものとなっています。


編集者は作品を『世に出す』側の立場でありながらも、『生み出す』立場かというとそうは言い切れません。

編集者はあくまでも作品に対しての調整者的な立場であり、生み出しているかというと微妙な立ち位置です。

それでも編集者がいないことには本が世に出ていくことはありません。


そして、彼女は凛夏の理解者であるということを言っていながらも、響の作品と凛夏の作品に対する態度の違いは明らかです。

編集者の立場として『より良い作品』を世に出すことは務めではあるのですが、作家の立場からするとそれはとても残酷なものです。

響という人物

そして、物語の中心にいるのが響という少女です。

高校1年生でありながら、書いた小説が目にとまり、芥川賞と直木賞を受賞することとなります。


彼女は、いろんな作品で時々見かける天才タイプの少女です。


そして、他の人の才能にも敏感で、それを極めて正確に見抜くことのできる人物でもあります。

面白い小説は面白いと素直に認める一方でそうでない小説に対してはそうでないとはっきりと言います。


映画的に若干誇張されている感じはありますが、自分の意見を曲げない強い人物として描かれています。

若干の誇張はありながらも、映画の登場人物としては見ていてとても面白い人物ではありました。

とても日本映画的

この作品を見ていて、とても日本映画的だな・・・と思いました。

話自体はとても分かりやすく、有名な俳優たちが出演しています。


日本人の抱えている無意識的なストレスのようなものに対して訴えかけるものがある作品でもあると思います。


そして、個人的にとても好きだったのが小栗旬の演じているキャラクターです。

彼は小説が世間的にあまり認められない一方で、小説を書くことそのものの本質的な快楽を知っている人物のように見えました。

小説の価値と快楽は外からの評価ではなく、内側から湧き出てくるものなのかもしれないと、彼を見ると思いました。

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