
『蜜蜂と遠雷』
恩田陸による長編小説を原作とした日本映画。
2019年10月4日に公開されました。
監督・脚本・編集は石川慶さんで、中心となる4人を松岡茉優さん、松坂桃李さん、森崎ウィンさん、鈴鹿央士さんが演じています。
他、臼田あさ美さん、ブルゾンちえみさん、斉藤由貴さんなどが出演しています。
原作小説は直木賞と本屋大賞をダブルで受賞しています。
あらすじ
有名なピアニストを輩出してきた芳ヶ江国際ピアノコンクール。
才能あるピアニストが集結したコンクールの予選が始まろうかとしていた。
かつて天才少女と言われながらも母親が亡くなって以降ピアノから距離をとっていた栄伝亜夜。
亜夜と幼馴染で、アメリカの名門ジュリアード音楽院に在学している19歳のマサル。
楽器店で働くサラリーマンであり、結婚し子供もいる28歳の高島明石。
そして16歳の少年、風間塵。
彼は伝説的な音楽家であるホフマンに見出され、推薦状を受けている少年であった。
それぞれが様々な思惑を持ちながらコンクールの一次予選が幕を開ける・・・。
小説原作の音楽映画
『蜜蜂と遠雷』は小説家恩田陸さんの同名小説を原作とする映画です。
原作も話題になっていることは知っていたのですが、なかなか読む時間が取れず、映画が公開されるということで観てきました。
(原作は映画見た後にすぐ買いに行きました。)
芳ヶ江国際ピアノコンクールという架空のコンクールを最初から最後まで通して描いている作品です。
メインとなる登場人物は4人のピアニストたちです。
それぞれの思惑を抱えながら、人生をかけてピアノに向き合っている4人の若者が描かれます。
音楽映画といえば『セッション』という映画があります。
『セッション』はドラムという楽器に狂気的に打ち込む若者と、それを指導する鬼指揮者との話でした。
『セッション』もとても好きな映画ではあるのですが、『蜜蜂と遠雷』という作品もとても好きな映画となってしまいました。
芸術と才能
『蜜蜂と遠雷』はピアノという世界における『才能』というものを描いている作品です。
音楽だけでなく、芸術に関する才能はとても繊細で、かつ残酷なものです。
それは決して努力に比例して与えられるものでもなければ、情熱を持って打ち込んでいる人に与えられるものでもありません。
欲しいと思う人に必ずしも与えられるものではないのです。
だからこそ、そこにはたくさんの感情が渦巻き、たくさんの物語が生まれます。
そして、芸術における才能はそういうものだからこそ、生み出される作品に宿る『特別な何か』があるのだと思います。
3人と1人
メインとなる4人のうち、3人は才能を『持っている』側の人として描かれます。
松岡茉優さんが演じている亜夜。森崎ウィンさんの演じているマサル。鈴鹿央士さんの演じている風間塵。
『向こう側の人たち』と表現されている彼らに対し、松坂桃李さんの演じている明石は、凡人とまではいかないのですが、彼らの側には行けない人物として描かれています。
彼はコンクールに敗れ、普通の『生活者』へと戻ることとなるのですが、実は彼はとても重要な意味を持っている人物でもあります。
彼の考える『生活の中にある音楽』とは、まさに最終的に亜夜が到達する境地でもあるからです。
世界は様々な音楽であふれていて、だからこそ美しいというのです。
音楽を演じる側の人は才能ある3人のような少し『特別な人』かもしれません。
しかし、音楽を聴くのはそうではない大勢の人たちです。
音楽は決して数少ない少数の人たちによるものではなく、もっと開かれているものなのです。
ストッパーを解除された天才
物語の主役となっている松岡茉優さんは、天才的なピアノの才能を持ちながらも、常に迷いを抱えている人物です。
ピアノの先生だった母親を亡くし、大きな舞台でドタキャンしてしまった過去を持ち、ピアノからは距離をとっていました。
そんな彼女が、同じくピアノを愛する、才能溢れる人たちとの出会いを通じて少しずつ解放されていく話もあります。
亜夜がいろんな迷いから解き放たれ、覚悟を決めて向き合うラストの演奏シーンは鳥肌ものでした。
ストッパーから解放された天才の姿は見ていてとてもカタルシスがあります。
最後に
原作はまだ読んでいる最中なのですが、映画は単純にとてもいい映画でした。
音楽の競争ではないとても本質的な喜びのようなものを描いしている作品です。
そして、劇中の音楽はとても本気で作られていることが分かります。
聞いた話だと、俳優のキャスティングが決まる前に、メインの4人と似ているようなプロのピアニストをキャスティングし、音楽部分を先に録音したとのこと。
そんなやり方もあるのか・・・
だからかもしれませんが、劇中の音楽は素人目ですがとても綺麗で、美しいものとなっていると思いました。