
中村文則さんのエッセイ集です。
『自由思考』
小説家である中村文則さんによるエッセイ集です。
2019年7月8日に河出書房新社より刊行されました。
中村さんの初のエッセイ集となっていて、デビューした2002年から2019年までの111編のエッセイがまとめられています。
新聞や雑誌、文学誌など様々な媒体で発表されているエッセイで、日本・海外の文学に関する考察から、日常的な日記のようなものまで内容は多岐に渡ります。
本書のための書き下ろしエッセイも収録されています。
小説とエッセイ
『自由思考』は中村文則さんのエッセイ集となっています。
中村文則さんは、今や日本国内だけでなく世界的に多くの国で翻訳され、作品が出版されている作家でもあります。
おそらく、現役の作家では村上春樹に次ぐ日本人小説家と言えるのではないかと思います。
中村さんの小説は好きな作品も多く、僕も作品のほとんどを読んでいます。
中村さんは『暗い』話を書く人です。
『暗い』話と聞くと、必ずしも良いイメージを持たないかもしれません。
しかし、そんなことはありません。
自己の内面が落ち込んでいる時、明るい何かで元気を取り戻すというのも一つの方法かもしれません。
しかし、それは必ずしもうまくはいきません。
仮に元気を取り戻したとしてもどこか歪さが残ってしまう可能性もあります。
中村さんのエッセイの中には、暗い気分になっているのであれば、とことん暗い部分に浸ってみればいい。というようなことが何度も書かれています。
とことん暗さに浸ることができれば、その先に光を見つけることもできるかもしれないと。そんな考えを持っているような気がします。
エッセイは小説とは違います。
作者の考えが現れるものであるという点は同じなのですが、その伝え方が違っています。
小説は物語の形として、伝えたいことを形作っていくのに対し、エッセイはもっとシンプルです。
書き手が伝えたいことをそのまま言葉にすればいいのです。
これはどちらにも良さがあると思います。
小説には、読み手の考えが入り込む余地があるように思えます。
提示された物語から頭の中で何を構築するかは、最終的には読み手に託されているともいえます。
しかし、エッセイはそうではありません。
エッセイは書き手が『自分はこう思っている』ということをはっきりと書いていることがほとんどです。
自分はどういうものが好きであり、どういうものが嫌いであるか。
自分はどのようなことを考えている人間であるかということを晒さなければなりません。
中村文則さんの人間らしさ
『自由思考』を読み終えてみて、中村文則さんは実はとても人間らしい人なのだなということを知れたような気がします。
暗い話を書く小説家であることは間違いないのですが、このエッセイ集にはとても人間らしい部分が見えると思います。
明日花キララさんや、里美ゆりあさんなどのアダルトビデオに関する話や、漫画のONE PIECEに関する話。
又吉直樹さんを初めとしたお笑い芸人の話なんかも書かれています。
かと思えば、本業である文学のこともしっかりと書かれています。
中でもドストエフスキーや太宰治、大江健三郎の話はよく出てきます。
ドストエフスキーの『罪と罰』に関するとても詳しい解説のようなことも書かれています。
中村さんのような作家が、普通の人たちと同じような感覚も持っているのだいうことを知ると少し嬉しくなります。
文学の力を信じる人として
中村文則さんは、小説などの文学の力を、言葉の力を信じている人です。
「小説は人の内面を描くことに最も適しているメディアであり、小説を読み、人の内面に寄り添う習慣を持っている人は決して排外主義者や、差別主義者にはなり得ない」ということが書かれています。
世界中のブックフェスに参加した時のことが書かれていて、そこで出会う文学を愛する人たちは、決して差別的になったり排他的になったりすることはないそうです。
僕も小説が好きで、文学に救いを感じている人間の一人です。
だから、こういう人の本を読むととても勇気つけられます。
世界は外向型の人の方がもてはやされやすい傾向があります。
内向型の人は生きづらさを抱えていることの方が多い気がします。
しかし、いい文学はそれでも構わないと思わせてくれます。
内向型がそのままでいることを肯定してくれるような文学が世の中にはあるのです。
内向型の人は実はとてもすごい才能を持っていることがあります。
そして、一度それが開花すれば外向型の人間はどうやっても追いつくことはできません。
僕も自分がそうであるからか、内向型の人たちのために何かできないかと常に思っています。
それが何なのか。今の自分に何かできることがあるのかは分かりません。
でも、それは人生を賭けるに値する何かのような気もしているのです。
そんな何かをできる人間になりたいものです。