
舞台見た後に読み直しました。
以前一度読んでいたものの、忘れていたいた話ばかりでした・・・。
『神の子どもたちはみな踊る』
2000年に新潮社より刊行された村上春樹の短編集です。
『新潮』に連載された5編の短編と、書き下ろされた1編を含む全6編が収録されています。
2002年には新潮文庫より文庫版も発売されています。
すべての作品が1995年に起きた阪神・淡路大震災に間接的に関わっています。
(著者曰く、地下鉄サリン事件との関連もあるといいます。)
他の村上春樹作品と同様に、たくさんの言語に翻訳されています。
収録作品
・UFOが釧路に落ちる
・アイロンのある風景
・神の子どもたちはみな踊る
・タイランド
・かえるくん、東京を救う
・蜂蜜パイ
村上春樹の短編集
『神の子どもたちはみな踊る』は2000年に発売された村上春樹による短編集です。
この中にある話が舞台化され、それを見に行った後に読み直しました。
舞台化されていたのはこの中に収録されている『かえるくん、東京を救う』と『蜂蜜パイ』という短編です。
村上春樹さんは、定期的にこのような短編集を出しています。
『女のいない男たち』や、『東京奇譚集』などがそうです。
村上さんの長編小説も好きなのですが、短編は短編の良さがあります。
短編は、短いがゆえに色んなことを試すことができる。
そんなことをどこかで言っていたような気がします。
確かに、村上さんの短編には長編にはない実験的な部分があるかもしれません。
震災後の話
この短編集では、1995年に起きた阪神・淡路大震災に関わる話が描かれています。
しかし、直接的に関わっていることは少なく、遠すぎず、近すぎない場所にいる誰かが震災によって影響を受けている。
描かれているのはそんな人たちです。
震災によって直接的に影響を受け、大切な何かを失っている人もたくさんいます。
僕の世代からしたら、2011年に起きた東日本大震災の方がよりリアリティを持って感じられます。
しかし、震災で直接的に何かを失っていない人たちも、ほとんどすべての人がおそらく何かしらの影響を受けています。
それは新聞による報道や、テレビに映し出される映像だけでなく、知り合いを少し辿れば、誰しも必ず関わりを見つけることができるはずです。
例えば『アイロンのある風景』という話があります。
出てくる若者カップルは、三宅さんという少し不思議な人と出会います。
そして、ことあるごとに海辺で焚き火をすることとなるのです。
しかし、三宅さんのことを二人の男女はよく知りません。
最後まで三宅さんのことははっきりしないままこの話は終わります。
しかし、会話の中で三宅さんには奥さんがいるのだろうということ。二人の子供が神戸にいるのだろうということが示されます。(それでも明確にそうだとは言っていませんが)
神戸であれば、おそらく震災の影響を受けているはずですが、この話の中ではそのことについては全く触れられません。
『神の子どもたちはみな踊る』
そして、本のタイトルともなっているのが『神の子どもたちはみな踊る』という話です。
これは、父親のはっきりしない善也とい青年が登場します。
彼は自分のことを神の子どもだと言っている青年です。
そして、耳たぶのかけている自分の父親らしき人を偶然見つけ、その人を追いかけた先でとある野球グラウンドへとたどり着きます。
そこで善也は踊るのです。
神の子どもである善也が踊る場面が描かれます。
そんな風にしてこの話は終わります。
善也が追いかけていた男性は、彼の父親なのか。彼はなぜ踊ったのか。
決して明らかにされることはありません。
しかし、読み終えると何かが読み手の中には残ります。
それをうまく言語化することができないのですが、彼はそこで何かを感じ、踊ることとなったのです。
(確か『ダンス・ダンス・ダンス』という小説にも同じようなシーンがあったような気がします。)
舞台化された
そして、最後に収録されている二つが舞台化された『かえるくん、東京を救う』と『蜂蜜パイ』という話です。
この二つはとても対照的な話のようにも思えます。
『かえるくん、東京を救う』は現実感がある話ですが、かえるくんという人物が登場するファンタジーでもあります。
『蜂蜜パイ』は現実的な恋愛の話です。
主人公とも言える淳平は最終的には大学時代の同級生である小夜子と結婚することを決めます。
小説家である淳平は『これまでとは違う小説を書こう』そんなことを最後に言います。
ここは不思議ととても希望あふれるシーンとなっています。
舞台でも見ましたが、この結末はなかなか好きです。
新しい一歩を踏み出した主人公が、決意を固めるシーンでもあるのです。
対照的に見える二つの話ですが、この二つは遠からず繋がっている話でもあります。
どちらも震災というモチーフは登場しますし、震災に何かしらの影響を受けている人たちの話なのです。
そして、僕たちは誰しもが地面という巨大な大地で繋がっています。
この短編集で描きたかったのはそのことなのかもしれません。
村上春樹さんの短編は
村上春樹さんの短編は、遊びごころに溢れた話が多いような気がします。
そして、短いがゆえに描ききれる部分も少なくなってしまうのですが、それは読者の想像力が入り込む余地が残されているということでもあります。
それは短編の大きな魅力の一つとなっています。
小さな物語から何を、どれだけ受け取るかは読み手次第なのです。