
1年前に公開された映画です。
大きな話題にもなっていました。
『万引き家族』
2018年6月8日に公開された日本映画です。
是枝裕和さんによる監督で、カンヌ国際映画祭にて最高賞であるパルム・ドールを受賞しました。
リリーフランキーや安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、池松壮亮などが出演しています。
国内外で非常に高い評価を受けている作品で、多くの映画賞を受賞しています。
実際にあったある家族の事件を元に10年近く構想が練られ、制作された作品です。
あらすじ
柴田家は、東京の下町で家族5人で暮らしていた。
初代の年金と、信代のクリーニング屋でのアルバイト、治の日雇い派遣の収入、そして、日々万引きを行い生活を立てていた。
ある日、治は家に帰る途中に家ベランダに締め出されている少女と出会う。
二人は『ゆり』と名乗るその少女を家へ連れて帰る。
誘拐ではないか?と不安を感じながらも、虐待されていたその女の子を放っておけずに、柴田家の一員として暮らすこととする。
しばらくは柴田家の一員として暮らしていたゆりだったが、ある日テレビで捜索願が出されていることを知る。
発覚を恐れた家族は、少女の名を『りん』と変え、家族は貧しいながらも暮らしていたが・・・。
見て思ったことは
『万引き家族』はおそらく日本人であれば多くの人が知っている映画だと思います。
約1年前に公開され、カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞したことでも大きな話題となっていました。
日本アカデミー賞などの国内の映画賞を始め、海外でも高く評価されている作品です。
映画館で公開され、続けて2回見ました。
なぜか一度見るだけでは足りないような気がしたからです。
この映画の描こうとしているもの。
隠された、本当に伝えようとしたメッセージや、描かれている人物たちのバックグラウンドなどは一回見ただけでは決して理解できなかったからです。
この映画は本当にたくさんの情報が詰め込まれています。
そして、その多くは説明的なセリフでは決して語られることはありません。
見る側が能動的に理解すべく情報を読み取らなければなりません。
例えば、松岡茉優さんが演じている亜紀という女の子。
彼女がどんな人生を送り、なぜ柴田家の一員として暮らしているのか劇中で明確に語られることはありません。
彼女に関する情報だけがヒントのように与えられているだけなのです。
日本社会の弱者を描く
この映画に出てくる柴田家の人たちは、実は全く血縁関係のない擬似家族だということが分かります。
みんなが普通ではない理由を抱え、そこに集まってきている人たちなのです。
この映画では、いわゆる『普通の人』たちと柴田家の人たちが残酷なまでに対比的に描かれます。
この映画における『普通の人』たちは、終盤に出てくる警察の人たちや、松岡茉優さん演じる亜紀の両親たちでしょうか。
正しい場所にいるような彼らは、そうでない柴田家の人々に対し、残酷なまでに正しさを主張します。
しかし、柴田家の人たちも決してそうなりたくてなっているわけではないのです。
どうすることもできない状況の中で、なんとか幸福を目指し生きているのです。
是枝さんの映画では、今までも日本社会における弱者の姿が繰り返し描かれてきているように思います。
『誰も知らない』という作品や、『そして、父になる』などもそうです。
是枝さんは、現実に確かに存在しながらもなかなか聞くことのない人たちの声を描くのが本当にうまいのだなと改めて。
疑似家族でありながら
柴田家の長である治が求めているものは、実は極めて人間的なものです。
家族との平和な暮らし。子供との安定的な関係。
しかし、彼はそれを正しい方法で手にすることができずにいます。
それで彼は、一般的な価値観からは『間違っている』ようなことに手を染めながらも手にしようともがいているのです。
そんな彼を全面的に否定することができるでしょうか。
万引きはれっきとした犯罪であり、肯定できるものではありません。
しかし、『そうせざるを得ない』人が社会には存在するのです。
そして、その数は実は意外と多いかもしれません。
希望を描く
『万引き家族』で描かれる疑似家族は、最終的には『正しい人々』によって解体されてしまいます。
しかし、この映画では希望を描くようなシーンもいくつかあります。
中でも特に印象的なのが家族で海を訪れるシーンと、最後に少女が何かを見つけるようなシーンです。
柴田家が海を訪れるシーンがあります。
水着を買い家族全員で海で海水浴をするのです。
このシーンは本当に家族のようで、血の繋がりなんて本当に重要なことなのか?と思わせられます。
この血の繋がりは重要かというテーマは、『そして、父になる』という映画でも描かれていたテーマです。
そして、最後にゆり(じゅり・りん)がベランダで一人いるシーンが映されます。
元々の親のところに戻り、また虐待を受けているのであろうことが示されているのですが、最後に少女はベランダから何かを見て小さく微笑むのです。
これは冒頭のシーンとも重なる部分ですが、ゆりは最初と少しだけ違っています。
外の世界にある希望のようなものを知っているのです。
他にも
他にもこの映画は考えさせられるシーンや、美しいシーンで溢れています。
亜紀が働いている店で4番さんと心を通わせるシーンや、そうめんを食べながら治と信代が抱き合うシーンなど・・・
全編通して、いずれ訪れる破綻の予感を常に感じているからこそ、一つ一つのシーンがとても刹那的で、刹那的であるがゆえの美しさを持っていると思います。
日本の社会における弱い部分を描いている作品でありながら、世界で通用するような普遍性を持っている作品でもあります。
だからこそ、世界でも高く評価されているのだと思います。