
「この国にはなんでもある。だが、希望だけがない。」
『希望の国のエクソダス』
日本の小説家・村上龍による長編小説。
1998年から2000年にかけて、『文藝春秋』にて連載され、2000年7月に単行本が刊行された。
著者の村上龍は、執筆にあたり経済や教育など多数の専門家に取材を重ね、その取材記録も『『希望の国のエクソダス』取材ノート』として刊行されている。
また、本作の主人公は2011年から2014年にかけて連載された『オールド・テロリスト』にも主人公として登場している。(『オールド・テロリスト』は、『希望の国のエクソダス』の先の世界という設定となっている。)
あらすじ
パキスタンとアフガニスタンとの国境付近で、日本人の少年が負傷したという事件を受け、フリーの記者であるテツはパキスタンへと取材へ向かう。
そこで別の一人の少年の姿を目にし、そのインタビュー映像が日本中で放送された。
2年前からパキスタンに来たというその少年は、決して安全とはいえない地域で地雷除去をしているという。
「日本のことはもう忘れた。あの国は死んだ国だ。」
少年はそう言った。そして、その少年は『ナマムギ』と呼ばれるようになる。
彼らのことを無視しようとした日本のメディアだったが、そのインタビュー映像をたくさんの14歳の中学生たちが見ていた。
そして、80万人もの中学生たちが学校へ行かなくなり、『ASUNARO』という組織を立ち上げる。
中学生によって運営される組織でありながら、『ASUNARO』は次第に力を増していき国内だけでなく、世界的に注目されるようになっていき・・・。
村上龍の経済小説
『希望の国のエクソダス』は村上龍によって書かれた経済小説です。
村上龍は、日本という国の現状をとてもドライな視線で見て、警鐘を鳴らすような経済小説を定期的に書いています。
1980年代に書かれた『愛と幻想のファシズム』もそうだし、『半島を出よ』や『オールド・テロリスト』なんかもそうです。
そして、『愛と幻想のファシズム』の時から一貫して同じ疑問と危機感を持っているようにも思えます。
これらの小説にはハッとさせられるような文章がたくさん登場します。
『希望の国のエクソダス』でもそうです。
「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」
中学生たちによる組織『ASUNARO』のポンちゃんという人物がそう言います。
なんという真理を突いた言葉なんだ・・・
戦後日本は・・・
戦争に敗れた日本は、そこから驚異的な勢いで復興し成長していきます。
高度経済成長期を経て、世界でも有数の経済大国としての地位を確立しました。
しかし、その成長は永遠には続きません。いつからか閉塞感と、停滞感が溢れるようになり、次第に衰退しているのではないかと思える空気感が蔓延しています。
たくさんの『もの』が溢れるようになったこととは裏腹に、人々は希望を感じることができなくなっているのです。
小説の役割は、たくさんの人が感じていながらもうまく言語化できない感情を虚構という形で差し出すこと。ではないかと思っています。
そして、村上龍はそれが本当にうまい作家なんだな・・・とこの本を読むと改めて思いました。
『ASUNARO』
少年たちは『ASUNARO』という組織を立ち上げます。
そして、組織は大人の助けを借りずとも成立することができ、次第に力を増していくのです。
この小説の初出から20年近くが経過した今。
これは決して夢物語でもないと思います。
ネットがこれだけ普及し、世の中には年齢や経験に依拠せずにお金を稼ぐ手段もたくさんあります。(実際にはなかなか大変な部分もあるのでしょうが)
例えば、YouTubeに動画をあげて広告収入を得ること。
今ではYouTubeでお金を稼いでいる子供たちもたくさんいます。
世の中は少しずつ、しかし確実に変わっていっているのです。
次第にその変化はとても大きなものと感じられるようになります。
そして、決して元に戻ることはないのでしょう。
世代間のギャップ
この話は、『経済成長を体験してきた人たち』と、『右肩上がりは続かないことを生まれた時から知っている人たち』との世代間のギャップをうまくとらえている話でもあります。
年功序列や終身雇用というような、古い価値観の人たちと、その価値観から離れている世代の人たちとの話とも言えます。
僕は、この小説以上にその差を痛いまでに的確に表現している小説を読んだことがありません。
最終的には『ASUNARO』という組織は北海道の一部で独立し、主人公が最後にそこを訪れるところで話は終わります。
この先この場所と、ここで育っていく子供達の未来はどうなっていくのだろうか。という疑問を残しながら。
とても面白い小説
堅い話に思えるかもしれませんが、読んでみると本当に面白い小説だと思います。
村上龍を読んだことのない人にも一つの娯楽作として勧めることのできる作品でした。
この先、村上龍はまた同じような問題意識から描かれるような小説を書いてくれるような気がしています。
しかし、年齢的なことを考えると一つか二つかもしれません・・・。
とても楽しみでありながら、残念なことです・・・。