
これはすごい小説な気がします・・・
『老人と海』
アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイによる短編小説。
原題は『The Old Man and the Sea』
1951年に執筆され、1952年に出版された。
世界中で広く訳されていて、世界的ベストセラーとなっている小説。
日本語訳も複数出版されている。
今回読んだのは、新潮文庫より出版されている福田恆存による翻訳版。
あらすじ
キューバの老漁師サンチャゴは、メキシコ沖に船を出し一本釣りで生計を立てていた。
長く不漁が続いてた老人は、助手の少年なしで船を出す。
一人で船を出したサンチャゴの船に、巨大なカジキマグロがかかる。
カジキマグロとの闘いの最中、老人は過ぎ去った過去に思いを馳せる。
4日にもわたる死闘の末に、老人は巨大なカジキマグロを仕留めるが、帰る途中にサメに襲われてしまい、カジキマグロはみるみる食いちぎられていく・・・。
ようやく漁港にたどり着いた老人だったが、カジキは食いちぎられてしまい骨になってしまっていた。
戻った老人の元には助手の少年が待っていた。
世界的ベストセラーとして
数年前から海外文学の訳書を積極的に読むようになりました。
ヘミングウェイといえば、ノーベル文学賞も獲得しているアメリカを代表する作家です。
海外文学を読むとなった時、早い段階で知ることとなったのがこのヘミングウェイという作家です。
『日はまた昇る』や、『武器よさらば』、『誰が為に鐘は鳴る』などの長編も一通り読みましたが、やはり一番印象に残っているのはこの『老人と海』という作品です。
『老人と海』はヘミングウェイが生前に発表した最後の小説とされています。
そして、ノーベル文学賞受賞作とも言われています。
(ノーベル文学賞は作品ではなく、人に対して授与されるものですが)
『老人と海』は、文庫で150ページほどの短い小説です。
1〜2時間あれば読めてしまうほどの分量です。
しかし、この作品は本当に面白く、たくさんの情報が込められているような気がします。
引き算の文学
『老人と海』は言うなれば、引き算の文学の最高傑作ではないかと思っています。
世の中にはたくさんの文学が存在しています。
長いものもあれば短いものもあります。
トルストイの『アンナ・カレーニナ』や、ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などは非常に長く、たくさんの情報が詰め込まれている作品です。
言うなれば、情報を足していく足し算の文学です。
足し算の文学にも素晴らしい作品はたくさんあります。
特に『アンナ・カレーニナ』はとても豊かな小説で、世界文学史上の最高傑作とも言われています。
しかし、この『老人と海』はまた違うベクトルで書かれている傑作文学なのです。
シンプルな話の中に宿る深さ
『老人と海』はとてもシンプルな話です。
不漁だった老漁師が一人で海に出て、巨大なカジキマグロと格闘し、戻ってくる。
老人が街へ戻ると、そこには少年が待っている。
とてもわかりやすい、シンプルな話なのです。
しかし、この小説には簡単には表現することのできないような深さがあることもまた事実なのです。
ハードボイルドな外的描写と、それに伴う内面描写。
振り返られる過去。人間の無力さと、可能性。
短く、読みやすい文体の中にこれでもかというばかりの情報が詰め込まれています。
限りなく引き算し、研ぎ澄まされ、洗練され、それでいて必要な情報のみが残されているような気がするのです。
読み解こうと思えばたくさんの切り口がある小説だと思います。
あとがきの素晴らしさ
新潮文庫版には訳者である福田恆存の解説が掲載されています。
この文章が、また面白い・・・。
内容はヨーロッパ文学とアメリカ文学との比較をした上で、ヘミングウェイという作家の立ち位置と、『老人と海』と作品の持つ意味についてのものです。
ヨーロッパ文学の人物は、その人物がどのような歴史の中に育ってきた人物で、どのようにして形成された人物なのかを意識した『時間的』な人物です。
それに対し、アメリカ文学は『空間的』な文学であるといいます。
アメリカという土地における『空間的な』広がりに起因している人物となっている為に、人物の掘り下げが浅いというのです。
しかし、そのアメリカ文学をヨーロッパ文学と同じ次元まで引き上げたのがフォークナーと、アーネスト・ヘミングウェイだというのです。
なんという深い洞察なんだ・・・(簡潔には書ききれません)
この福田恆存という人自体にすごく興味が湧くような素晴らしい解説となっています。
『老人と海』は本当に素晴らしい小説だと思います。
長すぎず、忙しい現代人が読むにも適した本です。
そして、本棚に並んでいればなんかかっこいいと思います・・・。
ぜひ一度読んでみて下さい。