
フランツ・カフカの有名な小説の一つ。
『変身』
小説家フランツ・カフカによる中編小説。
1912年に執筆され、1915年に刊行された。
日本語訳版も多数出版されている。
今回読んだのは、新潮文庫より刊行されている高橋義孝訳によるもの。
あらすじ
販売員をしている青年グレゴール・ザムザは、ある日自宅の寝室で目を覚ますと、自分が巨大な虫に変身していることに気が付く。
もう少し寝ていようかとするが、寝るために適した体勢をなかなか取ることができなかった。
ふと、時計を見ると予定していた出張の時間を過ぎていることに気が付く。
なんとかベッドから這い出し、家族の前に姿を現わすが、彼の姿を見た家族はパニックに陥ってしまう。
グレゴール・ザムザは泣き叫ぶ父親にステッキで叩かれ、自分の部屋へと追いやられてしまう。
妹のグレーテのに世話をしてもらいながら、なんとか生き延びていたザムザだったが、次第に自分の食べ物の嗜好が変わっていっていることに気が付く。
次第に、部屋の壁や天井を這い回る習慣を身につけてしまうザムザは次第に家族からも虐げられてしまい・・・
朝起きたら虫になっている
『変身』という小説は、ごく普通の青年だったザムザが朝起きると虫になっているというところから始まります。
最初はまだ人としての自我があったザムザでしたが、次第に食べ物の嗜好が変わり始め、行動も変わっていきます。
そして、家族からは虐げられ、最終的には命を落とすこととなるのです。
ありふれていた日常に、理由もはっきりしないままに異物が放り込まれ、どうなってしまうのかを考えるという思考実験的な意味合いのある小説です。
ザムザは、自分が虫になってしまった理由がまったく分かりません。
そして、彼を取り巻く全ての登場人物も彼がなぜそうなってしまったのかを知らないのです。
しかし、彼の変化は彼自身を次第に変えていき、彼の周りの人は彼に対する態度を変えていきます。
『変身』は突拍子もない設定から始まる小説のように思えますが、なぜか現代を生きる私たちにも考えさせられるものがあります。
外の世界と接して
ザムザは、最初自分の変化に気がつきます。
しかし、それがどのような変化なのかははっきりとは分かりません。
意識の中での自分はしっかりとつながっていて、彼はまだ彼自身なのです。
しかし、彼は彼の家族と接することで自分の『変身』をはっきりと理解します。
外の世界と接することによって自分自身の置かれている状況を知るのです。
これは大なり小なり、全ての人が共通して経験することではないでしょうか。
家族や、学校、地域、会社などそれぞれ属しているコミュニティが人にはあります。
しかし、ずっとその場所に留まっているわけにはいきません。
どこかでその閉鎖的な世界から外へ出て、自分の世界を広げていかなければなりません。
中にはその過程において大きく傷つけられてしまう人もいるでしょう。
そうやって家の中に引きこもってしまう人もいるのです。
自分だったらどうするか
虫になったザムザは、最終的には家族に見捨てられ命を落とすこととなります。
悲しい結末かもしれませんが、こう考えてみることもできます。
もし自分だったらどうすれば良いのだろうか。と。
自分がザムザだったとしたら。もしくは、自分がザムザの家族だったとしたら、一体どうするべきなのだろうか。
元に戻れる可能性を模索するかもしれないが、共に生きていくことはおそらく難しい。
最終的にはどこかのタイミングで家族は彼を切り捨てなければならないだろう。
そして、自分が虫になったとして一体何ができるのだろう。
全てを受け入れ、虫として生きていくしかないのだろうか・・・
なぜこんな小説を・・・
カフカはなぜ、こんな小説を書いたのだろう。
彼は保健局で働きながら『変身』を執筆したという。
彼はおそらくとても繊細な人で、外の世界に接した時にザムザが感じたような苦痛を経験したことがあったのではないだろうか。
まるで、世界が自分を否定しているかのようなそんな感覚を味わったことがあったのかもしれない。
執筆動機は今となっては誰も知ることはできない。
しかし、この小説はしっかりと現代にも通ずるテーマを扱っていると思う。
フィクションだからこそ語ることのできる現実があるのだということを改めて実感しました。