
いろんなところで耳にする『フランケンシュタイン』の元となった物語です。
『フランケンシュタイン』
イギリスの小説家メアリー・シェリーが1813年に出版した小説。
原題は『Frankenstein: or The Modern Prometheus』(フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス)
原題におけるまでなんども映像化がなされ、そのほかの創作物においても繰り返し作り続けられている。
あらすじ
話はとある探検家の手紙から始まる。
極北の地を旅している最中にとある科学者と出会う。
フランケンシュタインという名のその科学者は、自分の過去のことについて語り始める。
スイスで生まれ育ったフランケンシュタインは、ドイツの名門大学で自然科学について研究を重ねていた。
ある時を境に、フランケンシュタインは人間の生命の謎を解き明かし、自在に操ることに野心を燃やし始める。
狂気的な研究の結果、フランケンシュタインは命を宿した怪物を作り上げることに成功する。
しかし、創られた怪物は人間の体力と知性、心を持ち合わせていながらも完全いは再現できてはおらず、醜いものとなってしまっていた。
そのことに絶望したフランケンシュタインは怪物を残し、ジュネーヴへと戻ることとなる。
残された怪物は、強靭な肉体を持っていたために生き延びていた。
そして、フランケンシュタインの弟が怪物に殺害されてしまう事件が起きてしまい・・・
生み出された怪物
今まで何度も聞いたことがあった『フランケンシュタイン』という言葉。
しかし、その元となった物語がどんなものなのかは知りませんでした。
読んでみてまず思ったことは、フランケンシュタインとは僕のイメージしていた怪物の方ではなく、生み出した科学者の方の名前だったのだということ。
そして、この物語が今まで何度も語られ続けられるに値する、本当に豊かなものを含んでいる話だということです。
冒険家の手紙hから話は始まり、大きく分けて3つの語りに別れている。
一つは冒険家の語り。もう一つは怪物を生み出したフランケンシュタイン博士の語り。
そして最後の一つは生み出された怪物の語り。
冒険家の語りの部分は、博士と怪物を客観的にみている部分であり、ある種よも手である私たちと同じような目線だ。
話のメインは、フランケンシュタイン博士と、生み出された怪物の語りの部分だ。
この二つは、本当に語るべきことがいくらでもあるような、とても奥行きのある話となっている。
生み出された怪物は、自分自身の醜さや、自分は一体何者なのか、そしてなぜこんなにも孤独なのかということに苦悩する。
知性を持ち、次第に人間のことを理解していく怪物。言葉も理解するようになって、よりはっきり自分が何者なのかということが分からなくなっていく。
そして、自分がいかに孤独で迫害されているのかを理解することになる。
怒りや嫉妬、羨望は次第に『なぜ、自分を創ったのか』という怒りに変わり、作り出した博士にその怒りをぶつけることとなっていく。
人の心を持とうとした怪物が、いかにして世界を恨むようになり、創造者を恨むようになっていくのかが、これでもかとばかりに語られる。
フランケンシュタイン博士
怪物を生み出した博士の方も苦悩することとなる。
博士は、怪物から自分とついになるもう一人の怪物を生み出すことを要求される。
一度はその要求を飲むのだが、最終的には断念することとなる。
そして、弟を殺され、愛する人を殺されてしまった博士は、怪物に復讐することを誓う。
フランケンシュタイン博士は、自分自身で生み出した怪物に恨まれ、追い詰められていくこととなる。
これはあらゆることに通じる普遍的なことだと思う。
例えば、自分が生み出した子供が自分自身を苦しめることになることもあるだろう。
さらに言えば、自分たちが生み出した技術や、科学が自分たちを苦しめる結果をもたらすこともあるだろう。
何かを生み出そうとしているとき、その結果を人は完全にはシミュレーションすることはできない。予想外の結果を生み出すことは多々ある話だ。
このような話が1800年代に書かれていたことには本当に驚かされる。
豊かな物語
繰り返しになるが、これは本当に豊かな物語だ。
論じることのできるポイントが本当にたくさん含まれている。
生み出された怪物のアイデンティティの話。怪物の孤独の話。
『生み出す側』と『生み出される側』の関係の話。
怪物が人間的な知性を獲得し、言語を習得し、人間を理解していく過程は成長譚として読むこともできる。
そして、怪物の心に宿りかけて善い心がいかにしてすさんでいくのかを語っている部分はなかなかの読み応えだ。
少し前に読んだ別の本の中に『虚構は、真実を包み込むためにある。』というような一文があった。
まさにその通りだと思った。フランケンシュタイン博士も存在しなければ、生み出された怪物も実際には存在しない。
しかし、存在しないはずの彼らの話が私たちに真実を伝えてくれるのだ。
このような物語は、決して多くは存在しないと思う。
ぜひ一度手にとって読んでみて欲しい。