感想・解説『見えない人間:ラルフ・エリスン』見方を変える内的な目線

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世界傑作文学100選のうちの一つ。

『イコライザー』という映画ではマッコールさんも読んでました。

『見えない人間』

アメリカの作家ラルフ・エリスンによる長編小説。

原題は『Invisible Man』

1952年の出版され、日本語訳版も数冊出版されている。

今回読んだのは南雲堂フェニックスより出版された松本昇による訳のもの。

ラルフ・エリスン

ラルフ・ワイド・エリスン(エリソンとも表記)は1900年代を生きたアメリカの小説家。

オクラホマシティに生まれ、音楽家を志しながらアーネスト・ヘミングウェイや、T・S・エリオットなどのアメリカ文学を読みふける。

後にニューヨークへ移住し、彫刻と写真を学ぶ。

第二次世界大戦にも参加。商船で調理師として働きながら、戦場での休憩の合間に短編小説を執筆していた。

1946年に結婚し、1947年頃から『見えない人間』の執筆に取り掛かる。

『見えない人間』は第二次大戦後に出版された作品の中で最も優れた小説とも評され、エリスンは1969年アメリカの大統領自由勲章を受け、1970年にはフランスからも芸術文化勲章を受けている。

アメリカ社会における『見えない人間』とは

アメリカにとって人種差別はとてもデリケートでありながら、とても重要な問題の一つだ。

そして、小説や映画のテーマとして繰り返し語り続けられている。

最近の映画で言えば、『ムーンライト』や『グリーンブック』、『ブラックパンサー』、アニメ映画の『ズートピア』なども差別問題を扱っている作品だ。

他にも『ドリーム』や『デトロイト』、『それでも夜は明ける』、古くは『アラバマ物語』など数え始めるときりがない。

なぜここまで『人種差別』というテーマが繰り返し語られているのだろうか。

それは、アメリカにとって人種差別という問題がいまだに重要なものであり、完全に無くなったとは言い切れない現実があるからではないだろうか。

この『見えない人間』も差別を扱っているいる小説だ。

『見えない人間』とは当時のアメリカにおける黒人のことを表している。

『僕』の話

『見えない人間』は『僕』という黒人青年の語りから始まる物語だ。

そして、僕は社会における自分の立ち位置と、自分自身のアイデンティティとを模索していくこととなる。

『僕』は一人の黒人として社会との接点を懸命に模索していく。

大学に通っていた普通の学生だったが、ある事件をきっかけに大学を退学となる。

そして、ニューヨークへ移住することとなりペンキ会社で働くこととなるのだが、ボイラーの爆発事故に遭い、そこもクビになってしまう。

『僕』は老人の家に居候して暮らすこととなり、後に『ブラザーフット協会』という組織の一員となり力をつけていく。

しかし、協会は方針を転換し『僕』は疎まれていくこととなってしまう。

そして、協会員のクリフトンが白人警官に射殺されるという事件が起こる。

事件をきっかけに、ハーレム地区で暴動が起こってしまうこととなる。

そして、『僕』は暴動から逃げる最中にマンホールに落ちてしまう。

マンホールの下の穴ぐらで暮らすこととなった僕だったが、最後には・・・。

『僕』とは

1人称で描かれる小説の主人公は、作者自身のことを強く投影していることが多い。

この作品においてもそうだ。

作中の『僕』は言うまでもなくラルフ・エリスン自身の思考や体験が投影されている。

しかし、読み手にとっての『僕』はまた違った意味を持つ。

黒人である読み手の多くは、この『僕』のことを自分自身のこととして捉えたのではないだろうか。

歴史に埋もれ、見えなかった人間たちの声を代弁してくれているかのように感じたに違いない。

そして、黒人以外の人たちにとっても、見えていなかった人たちの声を『見える』ようにしてくれたのが本書なのだ。

そう考えると、なぜこの作品がアメリカだけでなく世界的に重要な意味を持っているのかが分かるような気がした。

歴史の陰に隠れ、消えてしまっていたかもしれない声を作品として残しているのだ。

日本において

日本において人種差別という問題を実感する機会はほとんどない。

しかし、『差別』そのものは日本にも確実にある。

そして、決して全ての人にとって無関係な問題ではない。

こういうアメリカの優れた小説を読むことができて本当に良かったと思う。

自分の視野が少し広がったような気がします。

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