
新訳版の『夜と霧』
これはなかなかヘビーな本です・・・
『夜と霧』
オーストリアの心理学者であるヴィクトール・E・フランクルのナチス強制収容所経験をもとに書かれた。
1946年に出版
英語版だけでも900万部以上を売り上げており、日本を始め17ヶ国語に翻訳されている。
世界的に名著として広く知られている一冊。
日本ではみすず書房より1956年に霜山徳爾訳版が、2002年に池田香代子による新版が刊行されている。(今回読んだのは新版の方)
内側から見る強制収容所
この本は心理学者のヴィクトール・フランクルが経験した『内側』からの強制収容所を描いたものだ。
すでに歴史の一部となっているナチスの強制収容所。
歴史としての『大きな物語』はこれまでも多くが語られてきた。
この本ではそこで語られるような地獄絵図は語られない。
あくまで『内側』にある『小さな物語』を語るべく書かれたのが本書だ。
本文にもあるが、偉大な英雄や殉職者の苦悩や死について語られることはない。
語られているのはおびただしい数の『小さな犠牲』と『小さな死』だ。
収容所での3つの段階
著者は強制収容所での経験には三つの心理的段階があるという。
まず一つ目が、収容されるということそのものに対するショックという段階だ。
今までしてきた生活から切り離され、収容所という異空間に収容される。
そこでは極限状態での生活が強いられ、周りで人が死んでいくことも日常茶飯事だ。
収容者は最初まずこのショックの段階を経験する。
そして次第に第二段階である感情の消滅へと移行する。
異なる環境に入れられることのショックや、極限状態での生活に対して生まれる感情的反応を抹殺しにかかる。
自己防衛的反応として、起こっている異常な事態に対し何も感じなくなっていくのだ。
収容所ではとにかくよく殴られたという。
しかし、次第に毎日のように殴られることにも何も感じなくなっていくという。
この第二段階についての記述は最も多く、様々なことが書かれている。
収容者の夢のことや、性的な事柄に関する話。
政治や宗教に関する話や芸術に関する話。
収容所における『ユーモア』とはなんなのか?
精神の自由のことや、運命に関する話なども語られる。
収容者は強制的に極限状態の環境に慣れさせられてしまう。
生きること以上の高次な欲望は失われ、様々なことに対する関心が失われて生きながらも、そうでない事柄もあるという。
解放という段階
収容所での心理の最後となるのが、解放された収容者の心理だ。
収容所での生活を終え解放された収容者たち。
すぐに外の世界での自由を精神的にも獲得できるかというとそうではない。
解放された収容者はある種の精神的な潜水病のような状態になるという。
精神的な圧迫から解放された人間は場合によっては精神のバランスを崩してしまう。
未熟な人間の場合は、権力や暴力といった形で表出してしまうこともある。
解放された自分が今度は力と自由を意のままに行使しても構わないのだと履き違えてしまうのだ。
そこに困難が伴うこともあるのだが、解放された人たちは次第に人間性を取り戻していく。
『人間』に戻ったのだということを感じ、未来への生きる意味を再確認するのだ。
そして、いつの日か奇妙な感覚に襲われることとなるという。
収容所で経験したことの全てに対し、どうしてあれらすべてのことに耐え忍ぶことができたのだろうか。と。
極めて貴重な情報
この本で語られていることは極めて貴重な情報だ。
そして、それは歴史という大きな物語の中では決して語られることのない情報でもある。
だからこそ、本書が名著とされ世界中で広く読まれているのだろう。
著者と同じ体験をすることはできない。
しかし、この本を読むことによって擬似的に体験することはできる。
それは本というものの存在価値そのものと言っても過言ではない。
内容は決して軽いようなものではない。
しかし、一度は読んでおいて損はない本だと思う。