
又吉直樹の芥川賞受賞小説『火花』
もう4年も前になるのか・・・
小説『火花』
お笑い芸人ピースの又吉直樹による小説
『文學界』2015年2月号にて初めて掲載
現役のお笑い芸人の書いた純文学小説として話題を呼んだ
第153回芥川賞を受賞
単行本・文庫本合わせ300万部近くを売り上げる大ヒットとなっている。
ドラマ化、映画化、舞台化されている。
あらすじ
お笑いコンビ『スパークス』の徳永は、熱海での営業中にお笑いコンビ『あほんだら』の神谷という先輩芸人と出会う。
才能と人間味に溢れる神谷は徳永に『自分の伝記を書け』と命じる。
小さな事務所に属し、先輩のいなかった徳永は初めて出会う先輩芸人の神谷に傾倒していく。
神谷も徳永のことを可愛がり、笑いの哲学を伝授しようとする。
小説のタイプ
小説には二つのタイプがあると思う。
一つは極限まで自我を取り除き、客観的に観察した世界のことを書いたもの。
もう一つは自分自身の中を深く深く掘っていき、自分にしか書くことのできない何かを絞り出して書かれたもの。
優れた小説はそのどちらかに振り切っているものだ。
前者は一つ高い視点から世界を見ている。
そういう小説にしか語れないこともある。
後者は極めてパーソナルな話だ。
だからこそ生み出すことのできる強さのようなものが宿る。
『火花』はいうまでもなく後者の小説だ。
芸人である作者が、芸人しか見ることのできない世界や、感じることのできない感情を物語にしている。
そして、それは多くの人にとってはなかなか知ることのできないものだ。
漫才とは笑いとは
『火花』はお笑い芸人の話だ。
主人公の徳永は芸人として成功することを夢見ているが、なかなか芽が出ずにもがいている。
そんな徳永の前に先輩芸人の神谷が現れる。
神谷は天才的な発想を持ち、突飛な行動をとる芸人であり、そうであるがゆえに芸人としての成功をなかなかつかめずにいる存在だ。
徳永は神谷との関わりを通じて自分自身はどうしていくべきか、お笑いとは何か、漫才とは何かを少しずつ理解していく。
徳永は最終的に芸人を諦め、不動産屋として働くこととなる。
いわゆる『普通』の世界へと戻ることとなるのだ。
徳永が最後の漫才を終え、神谷と話をするシーンがある。
ここでの会話は本当に素晴らしい。
『漫才は決して一人ですることはできない。かといって二人ですることもできない。
自分たちと、自分たち以外のたくさんの漫才師たち。それら全員での共同作業なんだ。
周りと比較されたり競争することによって独自のものを生み出していく。
淘汰されて残るのは一握りかもしれない。でも、淘汰に敗れた奴らの存在は絶対に無駄ではない。
優勝したコンビ意外はやらなければよかったなんてことは絶対にない。舞台に立ったことのある人間は例外なく必要だったんだと。』
先輩芸人の神谷がこんなことを言う。
今テレビをつければお笑い芸人が溢れている。
昔から長く出続けている人もいれば、出てきたばかりで消えていく人たちもたくさんいる。
面白い芸人とそうでない芸人。好きな芸人とそうでない芸人。
誰が誰のことをどう思っているかは人それぞれだ。
しかし、『火花』での神谷の言葉を聞くと、全ての芸人は必要なのだと思えてくる。
そして全ての芸人にも人生があり、徳永のようにやめていく人もいる。
淘汰に勝ち残り、大成功する人もいる。
最終的に行き着く場所がどうであれ、その姿は本当にかっこいいと思う。
少なくともやっていない人間に、舞台に立った人間のことを否定する権利はない。
最後まで
徳永と神谷は最後、別々の道へと進むこととなる。
徳永は芸人を諦め不動産屋として普通に生きる。
神谷は最後まで芸人である。芸人であろうとする。
そのどちらの選択も僕には否定する権利はない。
どちらの選択も正しく、かっこいいと思う。
この小説を読むとそう思える。