感想『岬の兄妹』それでも生きていく二人の兄妹

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気になって地元の近くの映画館で見てきました。

凄い映画だ…

『岬の兄妹』

2019年3月1日に公開された日本映画

監督は片山慎三 劇場公開映画デビュー作

メインとなる兄妹を演じたのは松浦祐也と和田光沙

あらすじ

岬に暮らす2人の兄妹。

兄は足が悪く、妹は自閉症をかかえていた。

ボロい家に2人で暮らしていたある日、兄は造船所での仕事をクビになる。

足の悪い兄にできる仕事は限られていて、次第に生活は困窮していく。

家賃も払えずに、電気も止められてしまい、空腹を満たすためにティッシュを食べるほどに2人は追い詰められていく。

行き詰まった兄は、罪悪感を感じながらも妹の真理子の売春を斡旋し始める。

法を犯しながらも、客を見つけてはお金をもらいなんとか生活することはできていく2人。

兄の持ってくる『仕事』を通じて、妹は少しずつ変わっていく。

今までにない妹の一面や感情を目にする。

そんなある日妹の真理子が誰かの子供を身ごもっていることが発覚する…

知らなければならない事

世の中にはけっして心地よくはないけれど、知っておかなければならない事がある。

それを伝えるのが映画や小説といった物語のもつ役割の1つだ。

岬の兄妹で描かれている事は、おそらく普通に映画を観にいく事ができる多くの人にとっては他人事だ。

しかし、心のどこかで世界にはこういう側面があることを知ってはいないだろうか。

知ってはいながらも自分たちはそうではない『普通の生活』をしている。

この映画の兄妹は、とても映画を観に行けるような余裕はない。

生きていくことすらままならず、ギリギリの生活をしている。

そして、そこから抜け出せるような希望の光も全く見えてこない。

「それでも人間か」

映画の中で出てくる印象的なセリフの1つだ。

兄の友人であるハジメ君から、兄に向かって言われた言葉だ。

ハジメ君は妹の売春を斡旋していることを知り、こう言う。

それは否定することのできない正しい言葉だ。

しかし、映画を観ている僕らは兄と共にこう思う。

だったらどうすれば良いんだよ。と。

ハジメ君は普通の世界にいる人物だ。

公務員として警官として働き、結婚し、もうすぐ子供が生まれる。

彼の怒りは正しい。

しかし、同時に残酷な言葉でもある。

障がいを持つ妹のことをないがしろにしてはいけないと、誰もが分かっている。

それが正しい事なのだということも。

でも、現実に妹の面倒を見なければならないとなったとき、果たしてそれができるだろうか。

自分自身の問題となった時、その問題と向き合えるだろうか。

答えを出す事が簡単ではない事は、この映画を見ていれば痛い程分かる。

売春でお金を手にした兄妹が、家の窓に貼られていた段ボールを剥ぎ取るシーンがある。

貪るようにマクドナルドのハンバーガーを食べながら、部屋の中に光が差し込む。

妹の足に鎖で繋いだりして、外の世界との接触をしないようにしていた2人に光が差し込む。

決して正しくはない。

倫理的にも、法的にも間違っている。

それでも、妹は世界との接点を始めて見つけた瞬間だったのかもしれない。

映画の最後、岸壁に立つ妹に兄が語りかける。

そこに、妹にとっての「世界の接点」となっていた音が鳴る。

妹は振り返る。

そこで映画は終わる。

必要な映画

決して楽しい映画ではない。

何度も見たいと思うような映画ではない。

それでも、この映画は必要な映画だ。

この映画の兄妹は少なくとも生きる事を投げてはいない。

どれだけ追い詰められようとも、懸命に生きようとする。

その姿はカッコ悪い。でも、とてもカッコ良くもある。

こういう映画は、力をくれる。

映画のもつ、物語のもつ力を再確認させてくれる。

それにしても『万引き家族』で描かれているものとはまた別次元の貧困描写・・・

『万引き家族』が幸福だと思えるほどです・・・。

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