
カフカの小説『城』の感想です。
難しい作品ですが、一気に読んでしまいました・・・
フランツ・カフカ『城』
『城』はフランツ・カフカによる長編小説で、1922年に執筆されました。
世界的に高く評価されている作品で、多くの国で訳され、読まれている小説です。
結末は分からず、未完のままとなっている小説です。
日本語訳版もいくつか出版されていて、今回読んだのは新潮文庫から刊行されているものです。
あらすじ
測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。
https://www.shinchosha.co.jp/book/207102/
村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。
しかし、神秘的な“城”は外来者Kに対して永遠にその門を開こうとしない……。
職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。
Kとは?城とは?
フランツ・カフカの小説である『城』読みました。
読んだのは数年前のことで、休日に一気に読み切った記憶があります。
いろんな語り口がある作品だと思うのですが、個人的な感想としてはシンプルにとても面白い小説だと思いました。
決して短い小説ではないのですが、この小説には読者を次のページへと誘う魔力があります。
でも、この小説の内容とその魅力をどう言語化すればいいのか・・・。
うまく説明することが難しい作品でもあります。
この作品は謎で溢れています。
Kとは何者なのか。結局のところ『城』とは一体なんなのか。
なぜKは城からここまで拒絶され続けるのか。
最後まで読んだとしても、それらに答えが与えられることはありません。
(未完だからということもあります。)
読めば読むほど謎は次々に増えてきて、謎は謎のまま話は進んでいきます。
小説でしかできないこと
”小説でしかできないこと”というものがあると思っています。
いくつかあるかもしれませんが、その一つが読み手が自分の頭で思考すること。
そして、思考することによって物語を補完するということではないでしょうか。
物語を一度自分の頭で再考し直すことで、ようやく読み手は本質的な意味で物語を獲得することができるのです。
『城』はまさにそんな小説です。
多分、この物語は小説以外の媒体で置換した時、その魅力が著しく損なわれてしまうのではないでしょうか。
映画や、音楽、漫画、テレビなど。置き換えることはできるかもしれませんが、小説の持っている魅力を損なわず再現することはおそらくできない気がします。
そして、それはいい小説の条件でもあります。
いい創作物とは、その媒体でしか実現し得ないことを実現していることが多いのです。
現代において『城』を考える
そして、この『城』という作品。
現代を生きる僕らにとっても意味のあるメッセージを内包している作品でもあると思います。
むしろ、現代の人にこそ意味のあるメッセージのようにさえ思えたりもしました。
人は生きていれば必ず何かに所属しています。
学校や家族、会社、住んでいる地域。
それぞれ自分の所属しているコミュニティを持っています。
しかし、ふと思うことはないでしょうか。
自分はそのどれにも深くは属していないのではないだろうか・・・?
自分の存在はそのコミュニティに対して決定的な意味を持っているのだろうか?と。
自分がいなくともそのコミュニティは存在し続ける。
さらに言えば、そのコミュニティ自体が存在しなくても世界に影響はない。
そんなふうに考えることもできます。
そして、そのことをみんな無意識的に感じているのかもしれません。
しかし、その感情を言語化することは難しかったりもします。
だからこそこういう小説が必要なのだとも思います。
”多くの人が感じていながらもうまく言語化できない感情を物語という形式をとって表現する。”
小説の持っている意味の一つはここにもあるはずです。
幸福感を持っているという最大の謎・・・
『城』はたくさんの謎にあふれた小説です。
そして、その謎の答えを知る人間はもうどこにも存在しません。
でも、『城』は幸福感にあふれた小説でもあります。
少なくとも僕はこの物語に没頭している時、とても幸福でした・・・。
次へ次へとページをめくっていくこと、読書という行為そのものの幸福を与えてくれたような気がしたんですよね・・・。
うまく説明することはできないんですが・・・。
早く続きを読みたいけれど、終わらないでほしいという二律背反。
いい作品はそのようなものが多いです。
『城』もそんな小説です。