
異質なものを排除することは簡単だ。
自分たちとは異なっている他者を排除することによって集団の中に結束と優越意識を生み出すことができる。
世の中に存在している『差別』という問題。
自分には関係のないことだと言える人がいるだろうか。
世界は異質なもので溢れている。
異質なものに直面した時、人はどちらかの行動をとる。
排除するか受け入れるか。
排除することは簡単だ。異質な存在を排除することによって自分たちの安全圏は保たれる。良くも悪くも変化することはない。
しかし、その先に何があるのだろう。完全に閉鎖的な世界で生きていくことなどできない。
どこへ行こうとも他者は存在する。
本当の意味で同質だと思える他者が一体どれほどいるだろうか。
家族や友人。恋人や、会社の同僚。街ですれ違う人たち。
海外へ出れば、全く異なる言語や全く異なる文化で生きている人たち。
出会う他者たちには他者たちの正義があり、それは必ずしも自分自身の正義とは一致しない。
この映画に出てくる黒人ピアニスト『ドン・シャーリー』は音楽の才能に恵まれている。
才能は評価されながらも彼は作中で何度も差別を受ける。
演奏者として招いておきながら、レストランを使うことは許されない。
そこに論理的は理由は存在しない。
彼が『黒人』だということ。
そんな限りなく非合理で、限りなく非論理的な理由で差別を受ける。
しかし、彼はあえてそういう地域を回っているのだということが彼の仲間から明かされる。
『人の勇気が人の心を変える。』
彼はそう信じている。
差別受けることは分かっていながらも、勇気を持って行動しない限りは永遠に何も変わることはない。
何かを変えることができるのは勇気ある行動だけなのだ。
アメリカ人にとっては日本人以上に根深い問題を扱っていながらもこの映画は笑える映画にもなっている。
運転手を務めるトニーが旅先から送る手紙の話や、車内で交わされる二人の会話。ケンタッキーのくだりなど、思わず微笑んでしまうようなシーンも多い。
運転手のトニーは裕福ではない白人であり、ドン・シャーリーは裕福な黒人だ。
異質な二人が同じ車内にずっといるということはそれだけで刺激的であり、面白い。
きっとこの映画は差別を肯定も否定もしていない。
過去にあったものだという事実からは決して目を背けることはなく、現代に何を伝えることができるのか。
そういう熱意を感じられるような映画だ。
これからも多くの人に見て欲しい。そんな映画です。